構成
■第1章
合唱A (1)耶蘇宗門といへるは (2)祖谷は縦十三里 (3)今久保名など
合唱B 「ほうい、ほうい」
a. 木挽唄(男声) b.田植え歌(女声) c.こえかり節(男声) d.こえかり節(女声)
■第2章
合唱A (1)閑定名といへる所より (2)阿佐名といへる所の
合唱B 平家物語の朗読と祖谷太鼓
■第3章
合唱A (1)祖谷川といへるは (2)露霜も
合唱A/B (3)おもひきや(建礼門院)
合唱B a.粉ひき節(女声) b.エイコノ節(男声) c.手まり唄(児童)
テキスト
・太田章三郎信圭「祖谷山日記」
・天草本「平家物語」
・「平家物語」流布本
1993年5月18日~19日 祖谷の現地取材
平家の赤旗が伝わる阿佐家 囲炉裏を囲んで宴会、数々の民謡が歌われた
剣山頂上 東祖谷のかずら橋
【1993年9月3日「第8回日本秘境サミット神戸会議」における「記念コンサート」プログラム】 より
「日本むらおこしセンター」(略称MOC)という組織があります。1987年に宮崎県の椎葉村で設立が議決され、同村のほか、和泉(熊本県)・東祖谷山(徳島県)・十津川(奈良県)・栗山(栃木県)の5村が会員村となり、毎年、日本中から秘境の町村の代表が大集合する「日本秘境サミット」という会議が開催されています。
その組織に関係しておられる「インフォマティカ」の樹林清人さんから、豊中混声合唱団常任指揮者の西岡茂樹さん、今夜の指揮者の田中信昭さん、という人脈をつうじて、わたくしに東祖谷山村をテーマとする合唱曲作曲の依頼がありました。
今年の5月中旬に上記の皆さんと東祖谷山村※を訪れ、村の皆さん方に懇切に迎えられ、数々の民謡を聴き、自然のすばらしさを満喫し、もちろん、有名な「かずらばし」の一つをこわごわ渡りました。
【「日本の音を聴く」(柴田南雄著・青土社刊)】 より
さて、曲の構成は柴田純子によっているが、方法的にはほぽ「遠野遠音」と「みなまた」(などの「地方シリーズ※」)のそれを踏襲している。
しかし、この場合は北山の京都府資料館で発見した「祖谷山日記」なる興味ふかい古文献の、往時の祖谷山の雄弁な描写が一つのボイントになっている。その、いわば外来者の観察(合唱団のA群の担当)と、祖谷山の人々自身の表現としての民謡が、終始対比をなすように構成された。
まず第一章は、端的に外来者の視点による祖谷山の描写(A群が歌う部分)と、祖谷山の人々自身の語りと歌(B群)から成る。外来者の視点に用いた歌は、「宗門改め」のために祖谷山を旅した阿波藩士太田章三郎信圭の紀行文『祖谷山日記』(1825年8月)である 。これに対してB群は、4曲の民謡をコラージュふうに歌う。
第二章でも、A群は「祖谷山日記」を歌いつづけるが、祖谷山の人々自身の表現であるB群は、祖谷山と平家の深い繋がりを踏まえ、「平家物語」の屋島の戦いの一部を朗読する。しかも、「祖谷山日記」の「宗門改め」との関連を明示するために、キリシタンの編纂した天草本を採用した。つまり、16世紀の文体による「天草版平家物語」である。
しかし、第三章では、A群が「祖谷山日記」を続けた後、流布本の「平家物語」から大原御幸の段、建礼門院の作とされている短歌「おもいきや」をAB両群で歌う。また、第三章でB群が歌う民謡は、われわれが東祖谷山村を訪問した折に歌われた「粉ひき節」や「エイコノ節」など、現地の皆さんの歌を採譜して素材とした。「手まり歌」は、可能ならば祖谷の子どもの世界を代表する児童合唱が参加することが望ましいが、女声合唱で歌われてもよい。
「祖谷山日記」や「平家物語」が歴史時代の祖谷山であるのに対して、民謡とわらべ歌が今日の祖谷山の生活と自然の表現であることを、演奏によっても明瞭に描き分けることが望ましい。
なお 、第二章には現地の東祖谷山村の「祖谷衆太鼓」の実演が加わってもよく、初演ではそれが実現した。
じつは、B群の民謡も東祖谷山村の皆さんによって歌われるのが理想ではあるが、これは全国各地の演奏でいつも望めることではない。
作曲着手は東京にて1993年6月13日、7月30日に京都で作曲部分を終え、民謡の採譜部分は東京で8月9日に完了した
※東祖谷山村……徳島県西部、三好郡(みよしぐん)にあった旧村名(東祖谷山村(そん))。現在は三好市南東部を占める地域。旧東祖谷山村は、2006年(平成18)三野(みの)、池田、山城、井川の4町および西祖谷山村と合併して市制施行、三好市となった。
剣(つるぎ)山地の西部を占め、三好市西祖谷山村とともに、長く秘境祖谷と称された山間村である。
剣山に発する祖谷川沿いに集落が点在し、右岸を国道439号が走る。 中心地区の京上(きょうじょう)には平家の落人(おちゅうど)の子孫といわれる阿佐家があり、赤旗など平家ゆかりの品を保存している。
また、東祖谷民俗資料館においても平家伝説の資料が展示されている。
米、ジャガイモ、サツマイモなどを栽培し、クリ、ミツマタ、コウゾなどの林産物もある。
木村家住宅は江戸中期の寄棟(よせむね)造、茅葺(かやぶ)きの主屋のほか隠居屋があり、国の重要文化財に指定されている。
江戸後期の農家である旧小采(こうね)家住宅も国指定重要文化財。 過疎化が進み、挙家離村の廃屋も多い。 (出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ))
※地方シリーズ… 柴田南雄の「シアター・ピース」の中で、一地方の歴史や特徴を古今の散文や詩や短歌をテクストにして歌いあげ、同時にその地方の民謡をコラージュふうに扱う一連のシリーズ。「遠野遠音」「みなまた」「深山祖谷山」「三重五章」「府中三景」からなり、1991年から95年にかけて生まれた。
「深山祖谷山」 西岡茂樹 昨年の「みなまた」に引き続き、柴田南雄氏の地方シリーズによるシアターピース「深山祖谷山」を取り上げました。 曲の舞台は、四国は徳島県の秘境、かずら橋で有名な祖谷です。剣山を源流とする祖谷川が深い峡谷を縫って走り、視界に入る風景すべてが切り立った斜面という、とても山深い里です。 しかし、そこに住む祖谷の人々は、自然と共に実に豊かに暮らして来ました。その何よりの証拠か、素晴らしい民謡の数々です。山に入って木を挽きながら歌う「木びき唄」、急斜面を切り開いた田に稲を植えながら歌う「田植唄」、蕎麦や粟などの実を挽きながら歌う「粉ひきうた」、草刈をしながら歌う「こえかり節」、酒を飲み交わしながら歌う「エイコノ節」等々、そして子供達が歌う「わらべうた」の数々。まさに民謡の宝庫と言えましょう。 そして、さらに祖谷を彩るものとして欠かせないのが、平家の落人伝説です。屋島の合戦に敗北した平家は、平国盛が安徳天皇を奉じて祖谷まで落ち延びてきたと言うのです。ということは、祖谷の人々の多くは、平家の末裔ということになります。事実、平家の赤旗を伝える家もあるのです。歴史の謎は解きあかせませんか、どことなく歴史の重みか色濃く漂う村なのです。 もちろん、祖谷もまた時代の波に激しく洗われています。たくさんの民謡を伝承してきたおばあちゃんの死と共に、誰も歌わなくなった歌があると聞きました。子供達も、やっぱりファコミンか大好きです。開発か進むに連れ、産業構造も変わりつつあるようです。 国際化か叫ばれる現代こそ、地方は、中央あるいは外国の真似をするのではなく、独自の文化をもつことか強く求められています。金太郎飴のような日本など、外から見たら随分と気味の悪いものに違いありませんし、もちろん中にいてもつまらないものです。 私達は合唱を通じて、これらに触れ、さまざまなことを感じ、そしてまた私達の未来を考えていきたいと思っています。 1993年 新合研通信 |