| 「木島始さんへのオマージュ」 萩京子 木島始さんは、私がソングを書こうと思い、現代詩を読み始めてはじめに出会った詩人のひとりである。 『ひびかせうた』という詩の一群がある。石渡萬里子さんによる一枚一枚の絵に添えるように、それらはそれぞれ『ひびかせうた』というタイトルで書かれていた。一種の連詩のようなものだ。そのひとつが「しいーんとしずまるなかで・・・」で始まるもの。これをソングとして作曲し、その後10年以上たってから混声四重唱版も書いた。そしてもうふたつ「ちきゅうのすみっこから・・・」で始まるものと、「こわごわかおみた・・・」で始まるものを、1982年に作曲したが、それを2003年に改めて書き直して仕上げた。宮澤賢治にはとても及ばないが、私も粘るときは粘るのだなあ・・・、などと他人事のような感想をなぜいま書いているかというと、木島始さんの詩は、いつも私のすぐ近くに存在していたので、もっとたくさん作曲していると思い込んでいたが、実は翻訳詩を別にすると、『ひびかせうた』3曲と一昨年書いた『発見のうた』だけだったことに気がついてびっくりしたからである。 木島さんは自身の詩が歌になることを喜んでくださる方だった。また、小熊秀雄について、あるいはラングストン・ヒューズの著作権のこと、その他いろいろ、相談に乗ってくださったものだった。いつかは書き下ろしの詩を書いていただき、作曲したいと思っていたが、それは叶わぬ願いとなった。ここ数年で木島さんをはじめとして、私の敬愛する詩人が次々に亡くなり、とても寂しい思いが募る。 私は木島始さんの詩の手触りが好きだ。自作のものも、翻訳詩もともに、独特のリズムと音色が、木島さんならではの空気をかもし出す。音と相性が良さそうでいて、なかなか手ごわい相手でもある。 歌を作曲するときは、ことばとどう関係を取り結ぶかが肝心で、ことばとの出会いの感触で、未知の関係を予感したときは、作曲完成と同じほどの高揚感がある。(作曲が遅いくせに曲ができる前に高揚感を味わってしまうなんて、と大いに怒られてしまいそうですが・・・)。今回、関西大学グリークラブのための曲をつくる機会をいただき、私はすぐ木島さんの『冬の遠距離走者』という凝縮されたエネルギーを感じさせる詩を中心に据えて、組曲にしようと思った。この詩はかねてより大いに気になる存在だったが、作曲できるとは思えなかった。だが、男声合唱・・・と思ったとき、また、若さということ・・・を考えたとき、この詩のことばたちが立ち上がり沸き立つような予感がした。だが組曲にするために、他の詩を探す際に気づいたのは、木島さんの詩には現代日本の作曲家がすでにかなり作曲してしまっているという事実だ。 ああ、木島さんは私だけのものではなかったか・・・なんて、そんなことはあたりまえのことではあるが、今さらながら、音楽にしてみたいと多くの作曲家に思わせる詩のちからを感じたのだった。 そして、いくぶん開き直り、他の作曲家がすでに作曲しているかどうかは考慮せず詩を選び、5曲からなる組曲とした。だが、曲順は絶対的なものではなく、それぞれ独立した曲と考えている。 ちなみに、かの『路標のうた』(関西大学グリークラブと法政大学アリオンコールの交歓演奏会のために三善晃氏が作曲し、1986年に初演した作品)も、作曲してみたい詩として浮上したことを白状しておこう。たいへんすばらしい詩だと思う。 「圏外へ」「冬の遠距離走者」「ひとの風」は、思潮社現代詩文庫「木島始詩集」に、また、「脈をみるうた」「こころの包帯おもううた」は、筑摩書房、詩集「遊星ひとつ」に収録されている。 |