西村 朗氏への委嘱曲


第4回(1997年度)委嘱曲

   題名:涅槃 〜メゾ・ソプラノとピアノのための〜

   詩 :萩原朔太郎

   編成:メゾ・ソプラノ(ハイバリトンでも可)とピアノ


西村朗氏ブログラムノート(無断転載厳禁)

歌曲「涅槃(ねはん)」について
                            

詩「涅槃」は詩集「蝶を夢む」の中の一篇で、その詩境は朔太郎中期の「青猫」的世界に属している。この詩の中、エロスとタナトスのベクトルは熱っぽく官能的に交錯して浮遊し、一種陶酔的で夢幻的な久遠の時空が開示されているが、しかしその本性はあくまでも情緒的であり、宗教的な神秘性や瞑想性を欠き、仏陀そのものの存在をも欠いている。

大正五年四月十九日の朝、三十歳の詩人朔太郎は神を見るという体験をしているが、そのことが詩人を神秘主義者にすることはついになかったように思われる。これは現実生活者の苦悩する心の、病的耽美的情緒への逃避の詩と言えるかもしれない。詩の第二節において詩人の心は月光に重く映し出されている。

"涅槃(ニルヴァーナ)"とは煩悩の火を吹き消すことを意味しているが、ここにおいて詩人はむしろ煩悩の炎の中へ逃げこもうとしているかに見える。そしてこの詩の意匠をそっとめくってみれば、そこには色彩の無い、寂寞の風景が広がり、その彼方からはあの「大渡橋」の血を吐くような絶唱が響いてくるはずである。

 私が、この曲以前に日本語の詩をテキストとして作曲した歌曲は、学生時代の習作一曲があるのみなので、実際上これが最初の歌曲作品ということになる。作曲の機会を与えて下さった「新しいうたを創る会」の皆様に心よりの感謝を申し述べたい。



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