クレーの絵本 より 「まじめな顔つき」  縄文土偶 より 「王子」

 

三善晃の二つの男声合唱曲

関西大学グリークラブ 音楽監督 西岡茂樹  

日本が世界に誇る偉大なる作曲家、三善晃先生が作曲された男声合唱曲を2曲、歌います。  

まず、「クレーの絵本 第二集」から「まじめな顔つき」。  

 パウル・クレー(Paul Klee, 1879 - 1940)は20世紀のスイスの画家で、独特の表現による抽象画を数多く描きましたが、同時にその絵につけられたタイトルが実に詩的であり、絵との相乗効果をもたらしています。  
 谷川俊太郎さんは、クレーの絵とタイトルから大きなインスピレーションを受けて詩を創作されました。
 そしてクレーの絵と谷川さんの詩を組み合わせた「クレーの絵本」という詩画集が出版されますが、それに触発されて、三善晃先生が同名の合唱曲を創作されました。つまり、クレーの絵+谷川さんの詩+三善先生の曲という、3次元構造になっているわけです。

 まず1978年には、早稲田大学混声合唱団の委嘱により5編の詩と曲からなる混声合唱組曲が誕生。続いてその翌年の1979年に関西大学グリークラブの委嘱により、別の5編の詩と曲からなる男声合唱組曲として「第二集」が誕生、「まじめな顔つき」はその中の4曲目にあたります。

 三善先生は楽譜のノートに下記のように書いておられます。

「クレーの風景と谷川さんの眼が、私の遠近法を許してくれる、と、第一集でも述べたが、それは今回も同じである。地表の背律や不合理、生の哀しみや痛みが、その遠近法を彩色するのだが、その色彩に透視されるものは虚無や絶望ではなく、地表への希いと生への愛であり、そこに、詩が私を捉え、私が音を書きたかった理由がある。」  「まじめな顔つき」もまた、短い曲ではありますが、その遠近法で彩られた珠玉の合唱曲です。

2曲目の「縄文土偶」は、法政大学アリオンコールの委嘱曲で、宗左近さんの詩による「王子」と「ふるさと」の2曲から成ります。

まず「ふるさと」が1981年に、そして「王子」を加えた完全版が1985年に初演されています。

 宗さんは1945年の東京大空襲で燃え盛る炎の中を母と共に逃げ惑い、気がつくと手をひいていたはずの母を失ってしまっていた、という壮絶な体験がその後の詩作の原点となっています。その宗さんが、後に縄文の土器や土偶と出会ったことで、ひび割れた心に縄文が憑りついてしまいました。そこから膨大な縄文シリーズの詩、歌が生まれることになります。

 なぜ縄文か? 縄文人は、その残された土器や土偶などから、宇宙、神、自然などの人間を遥かに超えた大きな存在を強く意識し、互いに争うことはなく、現代のような経済合理性とは正反対の“祈りと愛の心”を大切にする生き方をしていたと宗さんは考えています。
 その縄文時代は、日本の文化の基層として1万年以上も続きました。
 ところが、紀元前数世紀の頃から、文化の断絶が起こり、日本は弥生時代へと激変します。これは大陸から高度な文明をもった大量の人々が海を越えて渡来し、縄文人を圧倒してしまった結果と考えられています。鉄の武器や馬を持ち、戦争に長け、そして稲作を基盤にした社会システム、中央集権による“国”などを持つ渡来人の巨大な力を前に、縄文人は為すすべもなく滅ぼされるか、その支配下に組み込まれてしまったと考えられています。

 その縄文の運命を、宗さんは、第二次世界大戦の犠牲者に重ね合わせます。
 そして、三善晃先生もまた、青年の頃に体験した戦争末期の悲惨な記憶が、その後の壮絶な「レクイエム」をはじめとする創作の原動力となっています。

 こうして宗・三善コンビによる縄文シリーズの合唱曲が誕生することになります。

 本日、演奏する「王子」は“おのれを見つめ続けていて ついに王となることのない王子”であり、それは人の形をした縄文土偶そのものであり、断絶された縄文の運命そのものと言えましょう。

 日本の歴史の断層から溢れ出た創作ではありますが、現代の地球上で起こっている不条理をも射抜く、強靭な問題提起でもあります。 本日は残念ながら「ふるさと」を割愛し、「王子」のみを演奏することをお許しいただきたく。