アルモニ・レジュイ 2000年度演奏会 プログラム・ノート


ミサ曲第2番

東京放送児童合唱団がハンガリーの作曲家、コチャール・ミクローシュ氏に委嘱したもので、1998年に初演されている。 ミサ曲は、グレゴリオ聖歌以来、多くの作曲家によるすぐれた作品が残されており、今も世界中で歌われている。ローマ・カトリック教会の典礼文に作曲されたミサ曲は、「あわれみの賛歌」「栄光の賛歌」「感謝の賛歌」「祝福の賛歌」「平和の賛歌」の5曲から構成されている。 私は想う。広い教会の中、日常の雑事からのがれ、なぜか暗いステージの片隅に頭上のステンドグラスからやさしい光がふり注いでいる。まるで、主イエス・キリストが私達を包み込むように、やさしくあたたかい光を与えて下さる。その光に導かれるように、私は祈り、歌う。「主よ、あわれみたまえ、キリストよ、あわれみたまえ」と。

グラナダのみどりの小枝

スペインの生んだ情熱的であらゆる芸術に精通したロルカの詩に林光氏が作曲した。1988年、桜楓合唱団により初演されている。 アンダルシアの地に咲いた真っ赤なバラが、朝に花弁を開き始め、昼には太陽と遊び、夕暮れには色をも変え、日没には花弁を落とす、と歌う「バラの変容」。自分が死ぬ時には、ギターと一緒に埋めてくれ、オレンジとハッカの木の間に埋めてくれ、吹き流しの旗の中に埋めてくれ、と歌う「忘れるな」。既成の観念や価値観に束縛され摩耗しきった歌などはいらない、僕がほしいのは、自由で開放された心、とこしえの心の喜びにやすらう、そんな新しい歌なのだ、と歌う「明日ともなれば」の3曲から成っている。1936年、ファシスト達の反乱により、グラナダにて38歳で殺されたロルカの詩は、今も不滅の光を放っている。

秋来ぬと −「梁塵秘抄」より

「梁塵秘抄」は後白川法皇が編んだ平安時代の歌曲−主として今様とよばれる歌の集大成である。柴田南雄氏はこの「梁塵秘抄」を歌詞とする合唱曲を3曲作曲しており、本日演奏する女声合唱曲は箏を、男声合唱曲は鼓を、そして混声合唱曲は篠笛を伴奏に用いている。また歌詞もそれぞれに相応しいものが選ばれている。「秋来ぬと」は1988年、桜楓合唱団により初演されている。(本日は全7曲から5曲を演奏) 柴田氏によると、「秋来ぬと」は人生経験の豊かな女性のための曲、ということで、西岡先生から「この団にぴったりですね」と言われている。ことに「われを頼めて」は「女の怨念がものすごくよく出ていますねぇ。これは皆さんの持ち歌に出来ますよ」と、ほめられているのか、怖がられているのか理解に苦しむ言葉をいただいているのだが・・・。

唱歌の四季

幼い頃によく口にした唱歌を三善晃氏が同声合唱に編曲したもので、1979年、東京放送児童合唱団により委嘱初演されている。 今、季節は秋、まさに紅葉の頃。日本の唱歌には、その季節折々の美しさが、きめ細やかに読みこまれている。私達の心を捉え、いつまでも懐かしく瞼に残る風景や日本人の心にしみる季節の色が、華麗なピアノを伴って、実に美しく描きだされる。 それはまた同時に、この地に生きる人々の「生きざまの色」の投影でもあろう。人は風土により育まれる。同時も人が風土を形成する。風土の荒廃は人の荒廃につながり、人の荒廃は風土の荒廃につながる。21世紀を目前に控え、今、私達はこの美しい風土と、そこに生きる人の美しい心を大切に守り続けたいと、あらためて願う。本日のすべての演奏が、その祈りの心から流れ出したものであってほしいと思っている。