柴田純子氏による「歌垣」プログラムノート


豊中混声合唱団第38回定期演奏会プログラムノートへの寄稿


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『歌垣』について
                           柴田純子

 「歌垣」は、柴田のシアターピースのうち、「大学生のための合唱演習」と名付けられたシリーズの節2作である。このシリーズは『宇宙について』『歌垣』『人間と死』『自然について』の4作品からなるが、いずれも、合唱団のメンバーが、音楽とテキストの双方を通じて人間の根源的な問題を考え、表現することを第一の目的として作られた。
 シアターピースはステージの上に並んで歌う通常の合唱曲と異なって、動きや所作を伴う。歌いながら客席通路を歩くこともある。また、一つの音楽作品として姶めから終わりまで固定されているわけではない。ある部分では、作曲者は素材を楽譜として提供するだけで、その選択や組み合わせは指揮者に委ねられる。こうしたシアターピースの特徴は、『歌垣』ではそれほど強く表れていないが、第2章に指揮者が自由に構成する部分がある。
 『歌垣』は1983年、田中信昭氏の指揮の合唱連盟「虹の会」によって初演された。その前年、委嘱を受けてまもなく、新作のテーマは「愛」と定まった。『宇宙について』(1979)のテーマが「人間の多様性」だったので、今回は人間の普遍性を、新しい生命を生み出す「愛」の形でとらえようという着想だった。タイトルの「歌垣」は、男女が定められた日に定められた場所に集まり、一夜をともにして豊作を祈る風習で、日本では弥生時代に行われていたらしい。中国や東南アジアの辺境地には、この種の習俗が近年まで残っていたそうである。
 柴田は、『音楽に表れた愛のかたち』という文で(東京新聞「心のページ」1988年10月13日)で、「そもそも音楽とともにあるのに、愛ほどふさわしいものはない」と書いている。また、東アジアや沖縄の民族音楽の引用によって、日本人の音楽的感性の由来を音楽的に表現したかったと述べている。

 第1章では「常陸国風土記』から、筑波山の歌垣のいわれが歌われる。国々をめぐる祖神は富士山に一夜の宿を乞うが、物虐みを理由にことわられる。怒った祖神は富士山を呪う。一方、筑波山は祖神を手厚くもてなしたために祝福され、「楽しみがきわまりなく続く」場所と定められる。旅人を歓待して幸運に恵まれる話は世界中にあるが、「常陸国風土記」の説話は、親切なもてなしが「愛」の原初的な形であることを示唆して興味深い。

 第2章は歌垣のシミュレーションである。台湾中部の部族の恋の呼びかわしである「ホザシ」で始まり、日本の古代歌謡から、相手を誘う歌、はねつける歌、相思相愛の歌がオリジナルの作曲で歌われる。最後に沖縄の八重山の恋歌「トゥバルマ」の旋律で、万葉集東歌「つくはねの」が歌い交わされる。

 古代の歌垣は恋の行事であるとともに、秋の豊かな実りへの祈願でもあった。愛は第一に男女を結ぶ絆であるが、さらに高い次元に拡大することが可能である。それを示すために、第3章のテキストとして旧約聖書の「雅歌」が選ばれた。古代イスラエルの祝婚歌であった「雅歌」の花婿と花嫁は、聖書では「神」と「人」の関係を示すものとして、キリスト教の普遍的な愛の概念を支えている。
「雅歌」の訳は、そのころ旧約聖書共同訳の仕事に参加されていた作家小川国夫氏にお願いして、さらにフィナーレの「結びのうた」書いていただいた。ここには若人たちが、心を開いて世界と未来に対しているさまが描かれている。「流れるように」と指定された三拍子のカノンに闇への問いかけが、さらに光への問いかけが続き、「希望します。どうかその意思を打ち明けてください」という言葉で全曲を閉じる。

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