食卓一期一会


食卓一期一会

信長貴富

長田弘氏の詩集「食卓一期一会」(晶文社刊)からテキストを選択(ただし「3.食感のオノマトペ」のみ参考文献をもとに作曲者がテキストを構成)。食べものに関する様々なエピソードや、そこに見え隠れする人々の日常(あるいは人生)が主な内容。長田氏の言葉が歌い語られていく中で、聴き手の記憶(個人史)を呼び覚ますことを考えて作曲した。歌い手が動くための具体的な仕掛けは楽譜上にほとんどないが、テキストの語り口や物語性などを音楽の展開の中に活用し、様々な演出の介入を許容する(あるいは演出を誘導する)作曲方法が採られている。また、テキストの意味の伝達に作曲上の留意が注がれているのも特徴である。(楽譜:カワイ出版刊)

(日本合唱指揮者協会関西支部 コーラス・マスター・クラス プログラムより転載)

 


シアターピースへの挑戦とその意義

客演指揮者 西岡茂樹

このジョイントコンサートの客演指揮の依頼があった時、幹部の皆さんとどんな曲を歌いたいのかについて話し合った。その時に出された意見として、「動きのあるステージをやってみたい」とのことだった。

「動きのある」とは、いろんな意味があるだろうが、合唱の世界では、「シアターピース」と呼ばれる作品群こそが、大学生の諸君が膨大なエネルギーをかけて取り組むに値すると私は考えた。

「シアターピース」の定義は必ずしも定まったものではないが、通常の合唱曲が、歌い手が舞台に整然と並び、指揮者が中央で指揮をしてその統制下で演奏されるのに対し、シアターピースの場合は、歌い手は舞台上を移動し、時には客席も含めたホール全体の空間を利用する。当然、指揮者の役割も変わってくる。ホール内のあちこちを移動しながら歌うすべての合唱団員を統制することは不可能であり、逆に、必要最低限の指示を出した後は、歌い手の自発性、主体性に大きく委ねられることになる。

これは一見、楽そうに見えるが、実は、通常の合唱曲を演奏する以上に、とても大変なことなのだ。一人一人がしっかりと自立し、全員が音楽の全体像を把握しながら、相互に自発的なアンサンブルを組み立てていかないと、演奏が成立しないからである。

さて、そのようなシアターピース作品は、残念ながら、まだあまり多くは存在しない。私はこれまでに柴田南雄氏のシアターピース作品群をもっぱらとりあげてきたが、去年、大阪大学混声合唱団の定期で初めて寺嶋陸也氏のシアターピース「水になった若者の歌」を上演した。これはなかなか面白かったのだが、寺嶋氏の他のシアターピース作品はまったく学生諸君に手に負えそうにない。

思い悩んだ末、最終的に提案したのが、信長氏の「食卓一期一会」だった。
この曲は、山梨県で活躍する「アンサンブル・カーノ」の2006年の委嘱曲だが、たまたま去年、改訂版が再演されると聞いて、私は甲府まで聴きに行った曲である。曲の内容については上記の信長さんの解説に詳しいが、個性の異なる4つの団体が共に集う場が「食卓」のように思えてきて、今回のジョイントコンサートの合同にぴったりだと思うに至ったからである。

幸い、学生諸君の賛同を得ることができ、3月から練習を開始。まずは春休みを利用して、能勢の山奥で合宿を行い、皆で「食卓」を共にし、歌い、語りあった。そして5月には、日本合唱指揮者協会関西支部が開催した信長氏のシアターピースをテーマとする講習会において、5曲の抜粋ではあるが、見事、上演を果たした。

本日の演奏は、それにさらに3曲を加えた8曲での上演である。(ちなみに全部で10曲ある)
ここに至るプロセスでは、シアターピースに初めて取り組む学生諸君にとっては、想像を絶する苦労があったと思う。しかし、通常の曲の合同では見られないチームワークや高揚感を私は感じていた。何よりも、一人一人が輝いて見えた。シアターピースでは、「その他大勢」ではいられないのだ。

今日の上演は、もちろんまだまだ未完成のものではあるが、初心者の多い大学合唱団でも、努力すればこれだけのことが4ケ月で出来るのだ、ということの証になればと思う。そして、この経験は、今後、通常の曲の演奏においても、きっと何か新しい変化をもたらしてくれるに違いない。

最後になりましたが、わがままな指揮者に付き合って下さった学生諸君、いつもながら見事なピアノで舞台を創ってくれる武知さん、豊かな身体表現を次々に生み出していく振付のしぶやさんに、心から感謝を申し上げます。ありがとう!

(2008年7月5日 4大学ジョイントコンサート プログラムノート)