《湖の言霊に憑かれ》三善 晃 豊中混声合唱団から委嘱を戴き、団員の皆さんから多くの詩を挙げてもらったなかから会田綱雄さんの《伝説》を選んだ。団員の皆さんが挙げて下さった詩の総てに流れているものは<生命を凝視める想い>だったと思う。《伝説》も、それを抱いている。 だがそれが、ここでは心の震える幻想の隠喩のなかで、音もなく「時」を食む。どこかの冷たい湖の凍りながら流れるその「時」のなかで、生命は、死と重なりながら無言の劇を続けるだけだ。蟹が…縄にくくられ空を掻きむしり、それを食う人に売られ、ひとにぎりの米と塩となる蟹が、それで熱い粥をすすり、いつか湖にすてられる人の痩せほそったからだを食いつくす。いつか食いつくされることをねがうそのからだが、うすらあかるい湖上で「やさしく くるしく」生命の「時」を食む。この伝説は私たちの心身がどこかに宿している記憶だ。あるいは心身のどこかが願い、予感しているいつの日かの遭遇…。 この詩を反芻するうちに私は、語ることと歌うことが行き交う澱みのような場所に沈んでいった。もしかするとそこは、言葉が言葉として飛翔する前に漂泳していた澱みなのかもしれない。詩を、そこへ引き戻す。その澱みのなかで、水藻のように揺らぐ言葉、水泡のように聞こえてくる音に、私の心身は混じり合った。できれば私も、その水藻と水泡に食いつくされるぬけがらであればよい。そうして言霊だけが《伝説》を伝えてくれるように。 西岡茂樹さん指揮の豊中混声は、きっと私のその願いを音で満たしてくれると思う。 *********************************************************************** 自分のプロフィル 1933年、つまり昭和のひと桁に東京郊外に住む勤め人の家に、兄姉妹に挟まれた次男として生まれた。戦争があり、戦争が終わって、幼時から交際っていたオンガクが、少しシンドイ道連れになっていた。普通の高校から普通の大学に進み、シンドイ道連れと一緒にパリにも行った。それから今まで、シンドイ道連れは益々シンドクなったが、道連れであることを止めてくれない。いつの間にか、人は私を作曲家と称ぶ。若い人達のいる学校へ行けば、先生とも呼ばれる。私がなになのか、どこへ行くのか、道連れは私に教えてくれない。 三善 晃 |
1994年8月20日 「伝説」の初演に向けてのレッスンに三善先生がお越しになりました