亡命地からの手紙・道しるべ


「亡命地からの手紙・道しるべ」について    萩京子

 私はこのふたつの詩を、アジア・アフリカ詩集(高良留美子訳)のなかに見つけた。この詩集は、アジア・アラブ・アフリカという3つの章に分かれている。

 この詩集に出合うまでは、私はアラブの詩を何も知らなかった。しかしダルウィーシュをはじめとして、アドニスやサイヤーブの詩にたちまちひきつけられた。高良留美子訳であるところの特徴かもしれないが、どの詩もくっきりしたイメージを喚起する。直線的なことばで迫ってくる。

 私は、1941年生まれのマフムード・ダルウィーシュの『亡命地からの手紙』を、豊中混声合唱団のための合唱曲のテキストとして選んだ。ダルウィーシュは、吟遊詩人的な(と言ってさしつかえなければだが)、声に出して読まれるべき、あるいは歌われるべき詩としてのことばの質を持っていると思う。彼の作品である『さすらうギターひき』などは、ロルカと共通するものを強く感じた。

  『亡命地〜』に出てくる住所ということば。住所という単語がこの詩の鍵であろうか。住むところ、生きる場所を失う、とはどういうことか。自分の意志でなく、生まれ育った土地から遠く離れなければならない、とはどういうことなのか。「ぼく」という一人称で書かれているこの詩から、無数の人たちの思いが立ちあらわれる。(混声合唱曲として作曲したいと思った理由はそこにある。)

 「住所もなしに……」で終わっているこの詩を受けるかたちで、私は、ホー・チ・ミンの『道しるべ』を連歌のような意味合いで、後に置きたいと思う。この詩は、「獄中日記」より、となっている。獄中で、だれかを、あるいは自らをはげます思いが込められているだろう。

 私は、住所を失い、地球上をさまようすべての人々が、私たち自身の道しるべである、という思いを込めてこの曲を作曲した。

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 萩京子さんは、いうまでもなくオペラシアターこんにゃく座の作曲家としてのイメージがあまりにも強烈であるが、その創作に流れる歌の姿と心に深く感銘を受けた私は、是非、合唱の領域にも、新風を吹き込んでいただきたいと常々考えてきた。

 幸い、昨年は、山口県の女声合唱団「あい」と大阪の女声合唱団「アルモニ・レジュイ」の共同委嘱という形で、石垣りんさんの詩による「地図にない川」を委嘱初演し、またこの3月には、豊中少年少女合唱団で長田弘さんの詩による「ファーブルさん」を委嘱初演した。

 これら2曲は、期待を遙かに超えた曲であり、ありきたりの合唱とは一味も二味も違う、新しい合唱の可能性を提示してくださったのであった。

  豊混が委嘱にするにあたっては、二度に渡り、練習に見学に来てくださり、練習後の飲み会にもお付き合いくださった。そして「愛と平和」を歌い続けてきた豊混にふさわしい曲、そして真に挑戦的な曲として構想されたのが、「亡命地からの手紙・道しるべ」である。

  前2作と同様、作曲は遅れに遅れ、最後の譜面が届いたのが今から3週間前、その後の練習においても改編が続き、不器用な豊混としては、まさに悪戦苦闘の日々であったが、しかし、その苦労に値する素晴らしい曲を創ってくださった。

  パレスチナとベトナムという大国に翻弄された歴史をもつ国々において、祖国の喪失、アイデンティティの喪失の荒波にさらされながらも、強靱な意志の力によって善く生きようとする二人の言葉は、圧倒的であり、しかも謙虚である。そこで歌われる祖国愛、人間愛は、個別的であると同時に普遍的である。

  混迷を深める21世紀の世界に直面する私達は、合唱という集団の営為を通じてその深層を探知し、人と共に生きる勇気と喜びをもらってくることができるのではないだろうか。

 萩さんへの熱い期待は、ますます高まるばかりである。

      西岡茂樹