ファーブルさん


『ファーブルさん』について

萩京子

 なにかのきっかけでファーブルの心に触れると、人はファーブルを忘れることができなくなります。『ファーブルさん』の詩人、長田弘さんもそのひとりだと思います。かくいう私もそのひとりです。

 ファーブルは大きな人間ですね。今はもう、あまりいなくなってしまったスケールの大きな人間です。科学者の目と、詩人の心を持っています。粘り強く、誇り高い心を持ったファーブル。小さな虫たちを見つめつづけた人、ファーブルに思いを馳せると、無限の時間を感じます。

 長田弘さんの『ファーブルさん』は、口当たりのいい詩ではありません。やさしさと攻撃性を秘めていて、4行ずつお行儀良く並んでいる字の隙間から、「いま」という時代をにらんで、20世紀に反省を促しています。そして「いま」はもう、ファーブルさんから遠く離れた21世紀になってしまいました。

 豊中少年少女合唱団のみなさんのために、どんな詩を選んだらいいのだろう、と、歌にするための詩を探しているとき、この『ファーブルさん』が気になり始め、いくらなんでもこの詩は手ごわいと思いながらも、この詩に決めました。

 小さなみなさんには、なにを言っているのか、すぐにはわからないところもあるでしょう。でもいつか、なにかのはずみに、ひとつのフレーズが心の中で立ち上がってくるときがあるはずです。「じぶんの人生はじぶんできちんとつかわなければならない」とか、「理解するとは、はげしい共感によって相手にむすびつくこと。」とか、「この地上で、生きる理由と究極の目的を じぶんのうちにしかもたないものなんてない」とか、・・・・・ああ、なんて歌いにくいことでしょう!でも、深いことばです。

 ファーブルへの思いと、詩への共感から出発しましたが、歌って楽しく、聴いて楽しいものであってほしいと思って作曲しました。小さな虫たちの生きるリズム、そのさまざまな彩りを感じていただければと思います。