新しい歌 

信長貴富作曲


2012年6月30日(土) 法関交歓演奏会 プログラム原稿

≪新しい歌≫に流れる「うた」

西岡茂樹

 ≪新しい歌≫は、東京六大学合唱連盟定期演奏会の合同演奏用として委嘱され、2000年5月に初演された。  作曲者の信長貴富氏は、楽譜のノートに次のように記している。 『出来上がった曲集は、タイトルこそ≪新しい歌≫だが、技法的に斬新な試みがあるわけではない。各曲のキャラクターは様々だが、どの曲も旋律主体の比較的シンプルなスタイルをとっている。私が今回の作曲で求めたのはひたすら「うた」だった。合唱曲が、あるいは合唱という媒体が、「うた」としての力を真に持ち得るのかということへ、私なりに挑戦したつもりである。』  5曲から成る組曲であるが、本日は下記の3曲を演奏する。

Ⅰ.新しい歌  スペインの詩人、フェデリーコ・ガルシア・ロルカ(1898~1936)の詩である。グラナダに生まれたロルカは、若い頃より民俗色豊かな詩や戯曲を発表、ピアノを弾き、歌を歌い、スペインの民衆文化の権化であり、象徴であった。それが故に、1936年に勃発したスペイン内戦により、フランコ将軍率いるファシストにより連れ去られ、銃殺される。ロルカ38歳の時のことである。「うた」とはロルカにとって生きることと同義であろう。≪新しい歌≫には、そんなロルカならではの純真でひたむきな「うた」がスペインの豊かな色彩感と濃い陰影の中に結晶している。

Ⅳ.鎮魂歌へのリクエスト  アメリカのハーレムに生きた詩人、ラングストン・ヒューズ(1902~1967)の詩である。1900年初頭のアメリカは人種隔離法による人種差別が激しく、また両親の離婚などにより、不遇の青少年期を過ごした。1920年代に活発化したハーレム・ルネッサンスにより、黒人芸術が大きく花開くが、ヒューズもまたそこに自らの生きる道を見出した。「僕が死んだら、僕を埋める時にはブルースを歌ってくれ」と語る≪鎮魂歌へのリクエスト≫では、黒人たちの生きる支えが「ブルース」という「うた」であったことを簡潔に語っている。ヒューズのエッセイの中にこんな一文がある。「黒人たちがブルースをつくりあげたんだ。それで今は、みんながそいつを歌う。おれたちは、貧乏で孤独で、家庭は崩壊し、絶望し、文なしになって、ブルースをつくったんだ」と。1963年のワシントン大行進でキング牧師が「I have a Dream」の演説をした時、ヒューズは既に61歳。黒人差別との戦いと大きな勝利への歩みが彼の人生そのものだったのだろう。

Ⅴ.一詩人の最後の歌  デンマークの作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805~1875)の詩である。デンマークは多くの島々があり、その一つ、フューン島が彼の故郷である。22歳の靴職人と少し年上の妻との間に生まれ、一家はとても貧乏であった。アンデルセンは、幼い頃から詩を書き、物語をつくり、芝居を書き、少し風変りな子どもだった。そして14歳の時、「ぼくは有名になる」と決心し、裸一貫、単身でコペンハーゲンに移り、そこで苦労に苦労を重ねて、やがてついに詩人、作家として認められるに至った。彼は自伝を書いているが、その最初には「わたしの一生は、美しい童話です。」と書き記されている。苦しい激動の人生だったが故の言葉なのだろう。何度も恋もしたが、結局、すべて実らず、生涯独身であった。そして信仰深い人であった。≪一詩人の最後の歌≫は、そんな自分が死んでいく時の言葉が綴られている。来し方を穏やかに眺め、満たされ、そして死によって別の世界へと運ばれていることを喜んでいるがごとき「うた」である。  

これらの三人の男たちの「うた」から、若き関大グリーメンは、何を学び、何を感じ、何を歌うのか、父親のような年齢の指揮者として、一抹の不安も覚えながらも、とても楽しみにしているのである。