冬の歌


北九州市の女声合唱団「ムジカ・ヴォーリア」の委嘱、1993年に初演されています。柴田南雄先生が、お亡くなりになったのは1996年、79歳の時ですから、最晩年の作品の一つです。

今回、奥様の純子先生が進めておられるCD/DVDによる『柴田南雄とその時代』シリーズ刊行(フォンテック)の第二期に「冬の歌」が収録されることになり、その演奏のご依頼を豊中少年少女合唱団と豊中混声女声部に頂戴いたしました。正式な収録は、7月10日(日)の豊中混声合唱団第51回定期演奏会(ザ・シンフォニーホール)での演奏となりますが、それに先立ち、まずはこの演奏会で歌わせていただきたいと思います。

さて、柴田先生は、出版譜のノートに次のように書いておられます。

『詩人の新美南吉は、わたくしより2歳ほど年長の人で愛知県半田の生まれ、東京外語学校(今の外語大)の英文科出身ですが、病気がちだったようで、昭和18年に29歳で亡くなっています。この5つの詩は、1939年と1940年の作で、その頃は日中事変のさなかの不安な時代でした。15年ほど前に、わたくしとしては珍しいことですが、民放の子供向けのテレビ番組の、新実南吉原作「狐」の作曲を引き受けたことがあり、それでこの詩人を知ったのでした。』

私たちが新美南吉と聞いてまず思い浮かべるのは小学校の国語の教科書にでてくる「ごん狐」でしょう。しかし実は、南吉は、他にも多数の童話や詩を書いています。4歳の時に母を亡くし、8歳の時には実家からも出されて母方の祖母と二人で暮らしましたが、寂しさに耐え切れずすぐに戻っています。そんな幼少のころの記憶は、生涯、南吉の心に愛への渇望をもたらし続けたのではないかと思われます。

そして15歳頃から童話や詩を書き始め、やがては学校の教師として、生徒の作文を熱心に指導したそうですが、残念ながら、喉頭結核を患い、29歳でこの世を去りました。死の直前まで童話を書き続けていたそうで、まさに天性の文学者だったと言えます。

そんな南吉の詩を用いて、柴田先生は「冬の歌(作品112)」なる無伴奏女声合唱曲を作曲されました。編成としては、4声から8声までの広がりをもつ、たいへん高度な技術が要求される曲ですが、その響きは格別で、南吉の詩の抒情を見事に描いておられます。この晩年の柴田作品の冴えわたった作曲技法は、続く作品113の、やはり無伴奏児童合唱曲「銀河街道」へと展開していきます。豊少は2007年と2008年に「銀河街道」を歌っていますが、今回の「冬の歌」は、その時の興奮を彷彿とさせます。

ちなみに、2008年のいずみホールでの「銀河街道」のライブは、日本伝統文化振興財団からCDで発売されています。既発売の「柴田南雄とその時代」第一期と合せて、是非、お聴きいただければと思います。

2011年4月23日 豊中少年少女合唱団第9回定期演奏会に寄せて   西岡茂樹

日本伝統文化振興財団 VZCC-1023〜24 


  フォンテック FOCD9470/5