三善晃先生に育まれて

西岡茂樹


三善晃先生の曲に接している時、そして三善先生について何かを書こうとする時、私は尋常ではいられなくなる。非常に特別な感覚、感情に全身が包まれる。

合唱指揮者としての私の出発点は、大学生の時に学生指揮者として取り組んだ三善先生の「小さな目」と「五つの童画」、そしてそれを契機とする三善先生の阿佐ヶ谷のお宅で受けたご指導である。あの時、大仰ではあるが、私は三善先生から何か大きな啓示のようなものを与えられたように思う。

そして、私は豊混に入り、やがて須賀先生の下での副指揮者として、初めて豊混の定期演奏会で指揮をしたのが1985年の第25回定期であり、その時の曲が「小さな目」だった。以来、ほとんど毎年の定期演奏会において、私は三善先生の曲を憑かれたようにして取り上げてきた。

三善先生は豊混の演奏を高く評価してくださり、それが1994年の第34回定期における「伝説」の委嘱初演へと繋がった。また、何度もプログラムにメッセージを頂戴し、さらに豊混の60周年記念誌にも寄稿いただいき、私たちに大きな勇気を与えてくださった。

一方、豊混は、21世紀への変わり目において、青少年の合唱の支援を活動の柱に加え、その一つの果実が2001年の「豊中少年少女合唱団(豊少)」の創設である。そしてその年の第41回定期では三善晃編曲「日本の四季〜瀧廉太郎の作品による〜」を、池田ジュニア合唱団、豊中第三中学校合唱部と共に共演しており、以来、豊混と豊少の共演は、お互いの定期演奏会に無くてはならない看板の一つとしてすっかり定着している。この新芽もまた三善先生の音楽が源流にある。ちなみに豊少の団歌もまた三善先生が作詞・作曲してくださった。つまり豊少もまた、三善先生の音楽によって大きく育まれてきたのだ。

「葉っぱのフレディ」が誕生した経緯については、三善先生のメッセージに詳しい。第50回記念定期の最後を飾るステージとして、この曲を選ぶのに何の躊躇もなかった。

大人と子どもが協同して合唱をするということは、単に一緒に歌っているというだけではだめであり、大人と子どもの相互作用により如何に大きな愛と信頼の渦を創り出すことができるかに、その成否がかかっている。豊混と豊少は十年の歳月を経て、今、ようやくその域に手が届くところまで来た。

レオ・バスカーリアの絵本を媒介として展開する「生」と「死」のドラマ、そこでは豊少が“フレディ”ならば豊混は“大きな木”ということになろう。今宵、十年の集大成がどんな音楽を創り出すのか、ワクワクしながら幕が上がるのを待っている。

このような素晴らしい磁場をも与えてくださる三善先生の音楽、これからも豊混の柱の一つとして、息長く演奏し続けていきたいと考えている。