関大グリー 第51回定期演奏会 プログラムノート


思い出すために

寺山修司の孤独と愛

2002年、女声合唱団「九月の風」の委嘱により、当初は女声合唱曲として誕生したが、後に、男声合唱に、さらには混声合唱にもアレンジされた。 男声二声とピアノという編成はシンプルで珍しいが、寺山修司という人間のキャラクターを考えると、多声部で飾り立てるよりも、むしろ最適な編成だと思えてくる。

寺山修司は、1935年、青森県生まれ。後、早稲田大学入学に伴い上京、以来、東京で暮らし、1983年に、肝硬変と腹膜炎のため敗血症となり47才で死去した。 少年時代から、詩、俳句、短歌で際だった才能を開花させ、やがて映画監督、劇作家、演出家、俳優など、さまざまな分野でめざましい活動を展開する。あまりの多才さにより、「職業は、寺山修司です」と語っていたというのは有名な話である。

31才の時には、演劇実験室「天井棧敷」を設立、その前衛的な演劇は、保守勢力からは激しく攻撃されたが、特にヨーロッパからは高く評価され、何度も海外公演を行っている。

母の不幸な出生、幼くして戦争で父を失い、生活のために働く母と長く別れて暮らし、やっと大学に入ったと思いきや難病により中退、恋多き人であったが、結婚生活は7年しか続かず、子どもをもうけることもなかった。

寺山修司が為した巨大な山脈のような仕事群とは裏腹に、その人生、生き様、心の内は、決して平坦なものではなかったのだが、そのことは前衛的な演劇や映画よりも、むしろ率直な詩作に濃く滲んでいるように感じられる。

作曲された信長貴富さんは次のように書いておられる。 “男声の歌唱によっても、寺山作品の諸要素−寓話性の中に込められた真意、ニヒルな語り口に包まれた感傷、個(孤)と他者との距離感−は音楽に滲み込んでおり、むしろそれらが生々しく浮かび上がってくるようにも思えます。男声合唱の得意とする重厚なハーモニーとは無縁な作品ですが、複数の人間の声ならではの空間性を持つ「うた」の世界が、男声合唱歌手たちの歌心を刺激することを期待しています。”

今宵、関大グリーは、OB有志の方々のサポートを得て、寺山修司という巨人の、しかし同時に極めて人間臭い人物の言葉に、信長さんの音楽を媒介にして迫ろうとする。その彼らの苦闘の姿こそが、明日の世界を担っていく勇気と愛の証であろう。ご来場の皆様と共に、それをしかと見届けたいと思う。