廃墟から 西岡のノート

太平洋トライアングルとの苦闘

音楽樹の栗山先生から、2008年5月のカンタートで「廃墟から」の2曲を豊混で歌ってほしいとのご依頼があったのが昨年の9月末のこと。すでに今回の定期に向けて取り組む曲として、新実先生の新曲委嘱初演と寺嶋先生の「沖縄のスケッチ」の編曲委嘱初演が決まっていたので、二の足を踏んだが、この曲を是非豊混にと仰っていただいたお気持ちに応えたく、また「愛と平和」を歌うことを基本においている豊混にとっては願ってもない曲でもあったので、無理を承知でお引き受けした。 案の定、高度な技術と深い思索が求められるこの曲の取り組みには予想以上の苦労があったが、それに値する価値を見いだせたのは幸いだった。信長先生の思いに、豊混は共振したと思っている。 「広島−ガダルカナル−沖縄」、日本の敗戦につながる三つの惨禍を結ぶ太平洋トライアングルを、今宵、豊混はどう描き、そこから何を伝えうるのか、ついに大きな試練の時が幕を開ける。

 

宇宙になる 西岡のノート

合唱界のビッグバン「宇宙になる」が、今、誕生する!

新実先生がはじめて豊混の定期演奏会を聴きに来て下さったのは、2004年7月の第44回定期、その時の演奏曲目は、竹内浩三の詩による「骨のうたう」であった。この曲は、2002年11月、栗山文昭指揮の合唱団 響 により東京オペラシティで初演されたもので、いつものようにノコノコ聴きに出かけていた私は大きな衝撃を受け、是非、豊混でやらせてほしいと新実先生と栗山先生にお願いして楽譜をいただいたのだった。結果的に、それがご縁となり、今回の委嘱につながったように思う。

その後、「骨のうたう」は全日本合唱コンクールでも歌い、金賞を頂いた。また昨年は、同じく新実先生の「常世から」を、Tokyo Cantat、第47回定期演奏会、全日本合唱コンクールで歌い、コンクールの演奏は新実先生にも聴いて頂くことができた。 この2曲は、いずれもたいへん高度な技術力と強靱な精神力を要求される曲であり、豊混と私にとっては苦労の連続であったが、その経験を通じて、あらためて新実先生の音楽の凄さを思い知らされた。見事なヘテロフォニーの技法、強靱な構築力、そこに流れる情念の巨大なエネルギー、それらがガウディの建築物の如く屹立しているのだ。 私達は、きっとまた苦労するだろうけれど、この類い希な作曲家に、是非、新しい合唱の世界を切り開く新曲を書いていただきたいと強く願い、新実先生はそれを聞きとどけてくださった。

そして予想は的中した…。まず「和合亮一さんの詩にする」と連絡が着た時にガーンと一発、そして譜面が着た時に二発目の頭を殴られたような衝撃…。やはり練習は苦労の連続であったが、「こんなに苦労して書いたの久しぶりだよ」と仰った新実先生のお言葉どおり、これまでの合唱曲とは一線を画す、独自の素晴らしい曲が誕生した。

一見、シュールな印象の和合先生の詩は、よくよく味わってみると実に熱く深く豊かであり、そこには大きな愛が透けて見える。新実先生は「縄文」と呼ばれたが、確かに東北の地で生きる和合先生には縄文の精神が息づいているに違いない。まだお電話でお話しただけであるが、一声聞いた瞬間に虜になった。 そんなお二人のコラボレーションが結実した「宇宙になる」は、まちがいなく合唱界の問題作になるに違いない。その曲の誕生に関わることができた私達は本当に幸せだと思う。苦労したけれど…。

 

沖縄のスケッチ 西岡のノート

沖縄から聞こえてくる生命の賛歌と平和への祈り

2005年1月、私はNHK東京児童合唱団の定期を聴きに行き、そこで「沖縄のスケッチ」に出会った。言葉を失った。体の中をつきあげるマグマのようなものを感じた。それは、よくある民謡の編曲ものとは全く次元の異なる芸術作品であり、そして、沖縄の歴史と文化を文明史の視座で捉えた寺嶋さんの深い洞察と明確な意志がひしひしと伝わってくるものであったからだ。 私はその時すぐに、これを豊混の活動の柱の一つである「大人と子供が共に歌う」編成へ編曲してもらおうと心に決めた。そしてそれが3年越しでついに実現したのだ。 沖縄に魅されて十数年、毎年のように訪れるが、苛烈な歴史を内に抱きながらも「豊饒」が満ちる島だとつくづく思う。 “いのちはいのちをいけにえとして ひかりかがやく しあわせはふしあわせをやしないとして はなひらく どんなよろこびのふかいうみにも ひとつぶのなみだがとけていないということはない” 3年前に共演させていただいた谷川俊太郎さんのこの詩のように、今宵、豊混と豊少は、遙かな世界と交感しながら、歌と踊りの熱狂の中に生きる。昨年に引き続き寺嶋さんと浅井さんのピアノに、そして具志さんと浦崎さんの舞に導かれながら。

2008年6月23日 沖縄慰霊の日に