「鳥のために」プログラムノート


鳥のために                     松下 耕


 私は、この数年間暖め続けて来た一冊の詩集を持っている。それは、ユーゴスラビアのベオグラードに在住の詩人、山崎佳代子さんの「鳥のために」という詩集である。山崎さんはご夫婦でベオグラード大学で教鞭をとっておられ、2人のお子さんと共に一家4人でずっとベオグラードにお住まいだ。
 数年前、ハンガリーの国際合唱コンクールで知り合ったユーゴスラビアの合唱団に招かれ、セルビアの地を訪問した際、通訳して下さったのが山崎さんで、その時以来、家族ぐるみのおつき合いをさせていただいている。
 いつの訪問のときだったかは定かでないが、山崎さんから「鳥のために」をいただいた。頁を開く度に戦慄と感動が私を襲い、その語群に私の目と心はくぎ付けになった。
 「いつかこれらの詩に付曲させてもらおう」という思いは日毎に募ったが、あまりに重く、大きなテーマを持っている詩であるため、私は焦らず、機の熟すのを待った。「書くなら、大規模な合唱団のために、できれば次代を担うべき若い人達のために、混声合唱で」と思っていたが、この度の関混速からの委嘱は、まさに私の思惑と完全に合致した合唱団であり、「山崎さんの詩集に付曲できる時が来たのだ」と、大きな感慨を持って作曲したものである。
 これらの詩は、1991年に起きたユーゴスラビアの内戦を記したものである。ユーゴは当時、悲劇的な流血を繰り返しながら解体して行った。山崎さんの言葉を借りれば、町々を分断した国境は「傷」であり、その「傷」が人間同士の信頼関係をズタズタにしてしまったのである。
 山崎さんの詩は、当時のユーゴの状況を鮮かに、ドラマチックに伝えている。ある部分ではドキュメンタリックに、私達の感性と知性に迫ってくる。
 私は山崎さんが綴ったことばの数々を私なりの音で包んだ。人間のおろかな部分を直視し続けることになった作曲過程は、戦争を知らない私には辛く、苦しい作業でもあったが、逆に、やっとこういう作品が書けた自分に、ほんの少しばかりの満足を感じていることもまた、事実である。
 曲は5曲から成る無伴奏の組曲。二百数十名による声のみのメッセージは、伴奏楽器を付随するよりはるかにリアリティーを持って聴衆にアピールできる、と考えて無伴奏の作品となった。「組曲」となっているが、テキストの内容や、曲のドラマ性を鑑みると、「オラトリオ」に近い作品となった。
この曲の演奏者は、そして聴衆はこの作品から「救い」の一片を求めるだろう。しかしそれは非常に難しい作業だろう、と思う。私としては、全編に貫く純正な響きへの希究?随所にあらわれる教会旋法やオルガヌム的な動き、完全協和を求める音程群?が、私なりの「救い」を求めた結果であると申し述べておく。
(関西学生混声合唱連盟 第30回 記念定期演奏会プログラムより)


コンサートにあつまって下さったみなさん

      1999年6月6日 ベオグラードにて 山崎佳代子

お兄さんのステファンは、1991年5月16日生まれ、妹のダヤナは、1994年6月16日生まれ。
1999年5月27日、ふたりは、おじいさんの住むラーリャ村で、NATOの空爆にあい、あまりにも早く、天国に帰ってしまいました、私たちを残して・・・。
ステファンとダヤナは、私たちと同じアパートの4階に、住んでいました。背の高いやさしいおとうさんと、やっぱり背の高い、腰までとどく長い髪の美しいおかあさんの4人家族でした。
ときどき、エレベーターで会うと、にっこりほほえんで私を見上げていたダヤナちゃんの あいくるしい瞳の光、エレベーダーのドアをあけると、まちきれないように外へ元気にとびたしていったステファンくんの背中・・・ それが永遠に消えてしまったことが、どうしてもまだ、わからないままでいます。
ユージー・ガガーリン通り241番地。私たちの建物は14階建てで、5月2日からはじまった送電施設の破壊のために長い停電が続き、そのたびにエレベーターは動かず深い闇に沈んだ階段を、私たちは歩くことになります。
アパートの入口に 二人の笑顔の写真が貼られ、二人の死が告げられた日、私は、闇の中を手すりを伝い、これと同じ手すりを伝わってやはりステファンもダヤナも、闇の中を、歩いていったのだと思うと、たまりませんでした。
「鳥のために」は、こうして消されていく命を記す作業で、それは深い孤独の中で生まれました。松下耕氏の手で、言葉ひとつひとつに音が与えられ、意味が新たに与えられて、みなさんの声がそれをうたい、みなさんの耳がそれをきく・・・。思いがけないこの奇跡を、長い歴史を通じて、つましい力をかさねあわせ、「生きる」意味を問いつづけてきた、そして、この炎の中にあっても、その後の灰の中にあっても、なお問いつづけなければならない、この地に生きるあたたかな心をもつ人々ととともに、心からみなさんに、そして松下耕氏に感謝したいと思います。
ほんとうにありがとうございました。
(関西学生混声合唱連盟 第30回 記念定期演奏会に寄せられたメッセージ)