「路標のうた」プログラムノート


「路標のうた」との出会い

                          三善 晃

法政大学アリオンと関西大学グリーから、二群の男声合唱のための曲を委嘱された。テキストは木島始さんの詩と決まり、かねてそれを願っていた私には二群の男声合唱という難しい課題とともにやりがいのある仕事となった。
木島さんから多くの詩作を頂戴した。それらは今、私の心の中に息づいているが、いつかは音の姿をして立ち上がるだろう。それらと向き合っている時間が長すぎたので、木島さんは多分しびれを切らして、新しい詩を書いて下さった。それが「路標のうた」である。
別の作品のためにこの仕事が中断し、5月下旬にやっとお渡しする仕儀になったことを深くお詫びしたい。
「青春」が、手易く手に入れることのできる共感で確かめられるものならば、それは私にはなかったが、それが「途方もない出会いを待つ廻り道」としての宇宙を実感し始める時期ならば、それは私にもあった。「君」と「誰」が重なり、あるいは離れ、それらの多層からだけ自分を推し測る混迷の、しかし限りなく熱く広い時空が。  
そのときの願いと不安、それは輪郭を持たなかったが実体があった。そしてその実体こそ「夢」と呼ばれるに相応しいのであろう。  
「路標」はまた、今なお戸惑いつづける私にとって、既に通り過ぎたものではない。それは歩む人生の向うにまた見えてくる。はからずも、例えばこの「路標のうた」のように。
(第25回 法政交歓演奏会プログラムより)

法政大学アリオンコールと関西大学グリークラブの交歓演奏会の歴史は1960年に始まり、今年で第38回を数えるまでになった。「路標のうた」は、その合同演奏のための委嘱曲であり、1986年の第25回演奏会において、田中信昭氏の指揮、故・田中瑤子氏のピアノで初演されている。
東西で青春を謳歌している彼らは、一年あるいは二年に一度、東京あるいは大阪で出会い、数日を共に過ごし、歌い合い、語り合い、そして最終日に演奏会で光り輝いて、別れていく。
その繰り返し続けられる新しい出会いこそが、二群の男声合唱による「路標」そのものだろう。
田中信昭氏との関係から、時々、合同曲の練習をお手伝いさせてもらっている私は、いつか「路標」をとひそかに願っていた。この度、昨年度の関西合唱コンクールで「路標」を歌って見事、金賞に輝かれた創価学会関西男声合唱団殿の共演を得て、オンステージの運びとなったことは、無上の喜びなのである。
                                    常任指揮者 西岡茂樹