慈経


慈経解説                高橋 悠治

スリランカ、ミャンマー、タイでの上座仏教でパリッタという唱え事がある。そのなかでもMettasuttaは、仏陀のことばといわれるパーリ語でかかれた最も古い経典のひとつ。
Mettaは慈と訳されるが、友人を意味するmitrに由来することばで、自他の区別なくすべての生きものにひらかれた慈しみの心をさす。
パーリ語の部分は、高低のアクセント記号を添えただけで朗唱される。それとかさなって現代日本語訳がうたわれるが、こちらの楽譜は声明譜のような曲線で書かれている。その旋律は、東大寺大仏開眼のときにチャンパ(いまのベトナム)僧が奉納したとされる「菩薩」という、もう演奏されなくなった雅楽の一部からとられた。合唱は男女の別なくグループをつくり、それぞれの群のなかで自発的にとなえ、うたう。

高橋 悠治プロフィール

柴田南雄、小倉朗に作曲を学ぶ。
1950年代に現代音楽のピアニストとしてデビュー、武満徹の助手になる。
1960年にギリシャ・フランスの作曲家クセナキスに会い、協力者となる。60年代はヨーロッパ、アメリカで、現代音楽のピアニストとして活動しながら、コンピュータによる作曲をこころみ、古代ギリシャ、中世ビザンチン、中近東やアジアの伝統音楽文化を研究する。
70年代は日本で音楽雑誌『トランソニック』を編集し、バッハやサティのピアノ曲を録音する。78年にアジア民衆の抵抗歌をうたう「水牛楽団」をつくり、市民集会で演奏するかたわら、月刊誌『水牛通信』を発行。フィリピンの作曲家・音楽学者ホセ・マセダやインドネシアの舞踊家サルドノ・クスモと出会う。
80年代は三宅榛名とのジョイント・コンサート・プロジェクトをはじめ、即興演奏、コンピュータによる作曲プログラムや生演奏をおこなう。
1990年以後、高田和子との出会いから、伝統楽器を演奏する身体のうごきと声の色に関心をもつ。92年フォンテックでCDシリーズ『高橋悠治リアルタイム』を始める。1999年、高田和子と伝統楽器によるプロジェクト「糸」をはじめる。著書には『あたまのなか』(福音館絵本)、『音楽の反方法論序説』(インターネット図書館「青空文庫」http://www.aozora.gr.jp/)がある。現在サイト「楽」(http://www.ne.jp/asahi/gaku/gaku99/)に書いている。

慈経について  西岡 茂樹

「慈経」は、第7回「創る会」の委嘱曲であり、1996年8月4日、宮城県中新田町バッハホールで田中信昭氏の指揮により初演されている。私も初演に参加した一人であるが、その独自のコンセプトに驚嘆した。また世界的な音楽家であるにもかかわらず、高橋氏は「創る会」の合宿に共に参加され、夜は私達と一緒に車座になってビールを飲みながら話し相手になってくださった。
これに先立つローレルエコーの委嘱曲「かがみくもりて」での体験と合わせて、高橋氏の存在は私の中で次第に高まり、以来、あちこちの演奏会でとりあげることになる。
 去る4月9日、豊中混声の練習場にも気軽に来てくださり、「慈経」について抱えきれないほどの多くの知見を与えてくださった。
高橋氏は言われる。「人はそれぞれの声をもっていて、それぞれに違う声でありながら一緒に歌うこともできる。完全にとけあわなくてもよい。心を開いて、この人にはこの人の声があるということを認め合うことによって成り立つ音楽なんです。」
頂戴した解説にもあるように、「自他の区別なくすべての生きものにひらかれた慈しみの心」がその原点であることは言うまでもない。西欧合理主義とは全く異なる時空に存在するこれらの「人と音楽に対する原理」が、日本固有の新しい合唱文化の創造に「光」を投げかけていることを確信するのである。