新潟アジア文化祭’98 アジアユース合唱団に参加して





新潟アジア文化祭’98 アジアユース合唱団に参加して

1998年8月10日

西岡 茂樹

前号の「ひびき」で懺悔をした後、7月24日(金)から8月5日(水)までの13日間、表題のイベントに副指揮者として参加してきました。期間中、ほぼ毎日、電子メールを使って、現地レポートを豊混メーリングリスト(メールアドレスを持つ豊混メンバー全員へ送信する仕組み)に送りましたが、今回、そのエッセンスをまとめて投稿致します。

参加者と曲目は、別紙の通りです。オーディションに合格した海外8ケ国28名と日本人21名、計49名によりアジアユース唱団(AYC)が結成されました。メンバーの年齢は、さすがにユースと銘打つだけあって16才から28才と若く、全員が豊かな合唱経験を持つことは言うまでもないのですが、その内、約8割が音楽大学やその卒業生でした。さすがに各国を代表する人材だけあって、個人の技術力およびパーソナリティには、素晴らしいものがありました。

指揮は、日本からは大御所の田中信昭先生、そしてシンガポールからはRebeccaRebecca

期間中のスケジュールは下記の通りでした。

小出郷文化会館は、新潟から上越新幹線で約40分ほど南に下った田舎町(駅前に田中角栄の銅像が立っています)にありますが、いずみホールのような素晴らしい音響で、このホールを1週間ずっと使って練習できたのは本当に幸せでした。

またアミューズメント佐渡も、佐渡島の中の田舎町にありますが、これまた小出郷文化会館に匹敵する素晴らしい音響。これに比べて新潟県民開館は、都会の真ん中にありながら最悪のホール。中新田のバッハホールをはじめ、本当に田舎に良いホールがあり、地元の文化団体と共に、地道な活動を展開しているのは感動的です。

練習曲目は、田中先生が、柴田南雄作曲「追分節考」、高橋悠治作曲「クリマトーガニ」、三善晃作曲「佐渡おけさ」という錚々たるプログラム。20世紀の日本を代表する鬼才達が日本の旋律を合唱芸術に高めた名作ばかりです。

一方のRebeccaDurufleBusto

さて、これらの曲目を、初めて出会った9ケ国の若者達が本当に1週間の練習で歌えるようになるのか、そしてアンサンブル感に溢れた合唱になるのかどうか、私は半信半疑でした。特に、田中先生の曲目は、日本人でも演奏困難な曲ばかりであり、ましてや日本固有の旋律や歌詞に不慣れな海外からのメンバーがこれを歌うのは至難の技と思っていました。

しかし、結果は予想を遙かに越えたものでした。

練習が始まるや否や、どんどん皆、うまくなっていくのです。そして、日本人でもこんなに味のある節回しはなかなかできないと思わせる程、うまく歌う海外からのメンバーも出現する始末です。

私はとても驚いて田中先生にお尋ねした所、「日本人は、自分達の歌だから絶対にうまく歌いたい、と頑張る。それが海外のメンバーにいい刺激となって伝わり、海外のメンバーもまた伸びていくのだよ。」と教えて下さいました。

それからよくよく考えてみると「追分節考」で使われている「馬子歌」のルーツは中央アジア、「クリマトーガニ」で使われている旋律は宮古島のものですが、宮古島は新潟よりフィリピンの方がずっと近いのです! これらはシルクロードや海上の道を経て日本に到来した文化の変容なのです。

つまり今回、集まった9ケ国は、国は違えど、共通の文化基盤を持っていると言えましょう。私もキャンプの初めの頃は、日本人に英語で喋りかけて苦笑されましたが、そのくらい顔立ちも似ています。キャンプの終わりの頃は、外国人と一緒にいるという実感がほとんどありませんでした。そのくらい違和感がないのです。

私は、昨年、混声合唱団ローレルエコーと共にイギリスに行き、英国人と10日間程、一緒にすごしましたが、最後まで「日本人」と「英国人」の違いを意識していました。

その感覚とは全く違うのです。

それはRebecca

「東南アジア文化圏」とでも言うべきものを肌で実感した、これは私にとって大きな財産になりました。

こうして1週間のキャンプですべての曲は見事な仕上がりとなりました。本当に信じられないくらいです。

この不可能を可能にしたメンバーの一人、フィリピン出身のMelody

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Dear Toyonaka Mixed Chorus Members

 

Hello! Myname is Melody Lalata from the Philippines.

Mabuhay! Konnichiwa!

First of all let me say that you are very lucky to have Professor Nishioka as your conductor.He is very inspiring and passionate about choral music.Not to forget to mention that he is a very kind and patient teacher.

 

Ok now about the AYC. What can I say, it is so much fun!!!! BUT at the same time it is a lot of hard work too YET very fulfilling!

The repertoire is very diverse,not only from Asia but from all over the world. It is very surprising that so many young people with different cultures, musical background and personalities can come together, work together and make beautiful music.

If one will stop and think about it, it seems like a very difficult task (in only 6 days rehearsal too!) but we all believe that in music nothing is impossible right?

I hope you will experience this too someday and share your talent and love for music and singing to others.

Thank you and keep on singing!!!!!

 

Melody Lalata

skybi@hotmail.com

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演奏会は3会場で行われ、どの公演も素晴らしい出来でしたが、特に最終公演の佐渡は、最高に盛り上がりました。そしてすべてのプログラムが終了した時、舞台袖では皆、涙また涙。いつまでも交互に抱き合っていました。

ずっと裏方でお手伝いをされていた新潟県庁のスタッフもさすがに涙しておられました。

文化祭全体にかけた費用はかなりのものであったろうと思います。恐らく「文化よりも産業振興」という声を必死で押し切って来られたに違いないと思います。

そのおかけで、49名のアジアの若者達が、一生涯、育んでいくことができる素晴らしい体験をすることができました。このプロジェクトに関わったすべて人に拍手を送りたい気持ちです。

以下は余談ですが、8月2日から4日まで、家族のご機嫌をとるために、全員を新潟に呼び寄せました。(佐伯さん、安いチケットありがとう!)

長男の友樹は、英語で話しかけられるとパニックに陥って硬直し、私によじ登ってきました。情けない奴だ! 日本人のお姉さんとは、すぐに馴れ馴れしくするくせに!

長女の彩音ちゃんは、まだ余り様子がわからないようで、きょとんとしていました。

そして最後の落ちは、8月3日の深夜から4日にかけて襲った大豪雨です。新潟気象台観測史上、最高の豪雨だそうで、交通は完全にマヒ状態。新潟市内も至る所で川のようになっています。

4日は、佐渡に渡って最終公演をする予定だったものですから、一時はどうなるかと思いましたが、長時間かけて必死でたどり着きました。ただし、リハーサルの時間はほとんどなく、皆、疲労困憊でしたが、しかし、そこは若さがあります。前述のように見事なフィナーレを飾りました。

なお、最後の別れ際に、私は、全員に対して「いつか必ず君の国にいくから、また会おう!」と言ってしまったので(もちろん英語らしき言葉で)、これから頑張って貯金をして、少しずつでも回れたらなあと思っています。

また海外からのメンバーは、ほとんど全員が電子メールのアドレスを持っていたので(日本のメンバーは、逆にほとんどもっていなかった)、これからも互いに情報交換が続いていくと思います。

帰宅後、数日して早速、Rebecca

私の今後の課題は、いかにして理解してもらえる英語を書くかですね。

電子メールでは、身振り手振りは通用しませんので・・・

(終わり)

 


7月24日(金)の現地レポート

新潟にやってきました。

これからできるだけ毎日、新潟アジア文化祭(NAC)のレポートをお送りします。

新潟とは言いましたが、今、滞在しているのは新潟から新幹線で40分余り南に下った浦佐という所です。

 

今日は、新大阪発12時40分のひかりで東京まで行き、そこで上越新幹線に乗り替え、約1時間半かかってようやく浦佐に到着したのが17時30分でした。

ずっとグリーン車だったので、比較的、快適ではありましたが、しかし5時間も新幹線に乗るとやはり疲れました。

ホテルは浦佐駅のすぐそばにあり、夕刻からぞくぞくとアジア各国の若者が集まってきました。

ハバロフスクからは新潟空港まで直行便があるようで、極東ロシアのメンバーは比較的便利なのですが、それ以外の国のメンバーは、いったん成田空港に着き、そこから上越新幹線というパターンです。

 

今日は、特に行事はなく、夕食をとった後、解散。

明日のオープニングに備えて早く就寝することになりました。

それでも食事会場では、さっそく身振り手振りを交えた会話の花が開き、若者の陽気に笑う声がこだましていました。

明日は、10時からオリエンテーション、午後からいよいよ田中先生の練習が始まります。

 

1998年7月24日 NACレポート その1

 


7月25日(土)の現地レポート

新潟からNACレポートその2をお届けします。

25日(土)は、午前10時からのオリエンテーションで幕を開けました。

最初に指揮者陣が挨拶、私も昨夜から辞書を片手に必死で考えた名文(迷文)で挨拶。

通じたかどうかは定かではありませんでしたが、皆さん、にこやかに聞いてくれました。

続いて、メンバー全員が自己紹介。

インドネシア、シンガポール、タイ、フィリピン、マレーシアの5ケ国のメンバーは、ほとんど母国語と同じくらい流暢にしゃべれます。これはやはりすごいことです。

続いて、韓国、中国、極東ロシアという順序でしょうか。

そして最もさまにならないのが日本。

海外留学経験のある一人を除いて、皆、悪戦苦闘していました。

 

午後からは、まず田中先生の練習。

体操と発声の後、八重山民謡を素材にした高橋悠治先生作曲の「クリマトーガニ」。

普段、見慣れない楽譜と旋律の進行に多少とまどっている様子。

男女に別れてパート練習をし、少しは形が見えてきたようです。

最後は、信州などに伝わる馬子歌を素材にした柴田南雄先生の「追分節考」。

これについては、時間が余りなかったので、楽譜と演奏方法の説明だけで終わりました。

「I don't conduct」という発言に皆はびっくりしていましたが、標識のついたうちわを見て、興味津々といったところです。

 

練習が終わってから夜の行事まで、2時間ほどのフリータイムがありました。

皆は旅の疲れもあるから、どこかで休むのかなと思いきや、皆でピアノの周りに集まって歌い始めました。

その中心は、フィリピンのグループです。

彼らは総勢7名、複数の合唱団から集まっているのですが、それが驚くべきことに、次々といろいろな合唱曲を暗譜で歌うのです。

そしてそれがまた見事にハーモニーしていて、見事に歌になっているのです。

お互いに顔と顔を見合わせながらクレッシェンドしたり、急にppになったりと、即興でアンサンブルを楽しんでいるのです。

さらに、実にさまざまな歌、クラシックから民謡まで、とどまることなく、次々に「Next Song!!!」と叫びながら出てくるのです。

本当にこれには驚きました。

日本のメンバーは皆、あっけにとられて見ていました。

その内、タイのメンバーやインドネシアのメンバーも歌の輪に加わりました。

つまり、彼らは、共通の歌を持っているのです。

地図で見ると、確かにそうです。

日本全土よりもはるかに近い距離に位置しているのです。

東南アジア文化圏というものを身をもって実感した瞬間でした。

また、彼らの音楽教育、合唱教育の充実度を知った瞬間でもありました。

これは今回の極めて大きな収穫の一つだと思います。

 

さて、夜は、練習会場の小出文化会館の小ホール(我々は大ホールで練習しています)で開催されていたユーラシア・コミュニケーション・フェスティバルに参加。

ここでは、ユーラシアの少数民族による伝統芸能を、それぞれの料理を飲み食いしながら、皆でワイワイ楽しむ催しが行われていました。

アイヌ、ウズベキスタンなどなど、多彩な顔ぶれで、美味しいお酒と料理をいただきながら、手拍子を打ったり、一緒に踊ったりと、たいへん楽しいものでした。

NACのメンバーも大喜びで、たいへん盛りあがってました。

最後は、地元の盆踊りとなり、皆、うちわ片手に器用に踊っていました。

こうして長い初日がようやく21時過ぎに終わりました。

 

NACレポート No。2 1998年7月25日


7月26日(日)の現地レポート

新潟からNACレポートその3をお届けします。

 

今日、26日(日)は、午前中はフリータイム。

希望者は、新潟アジア文化祭の一環で行われている雪祭りを見にいくことになりました

。これは冬に降った雪を解けないように保存しておいて、それを利用して雪遊びができ

るようにした企画です。

フィリピンやマレーシア、タイのメンバー達に聞くと、生まれてから一度も雪を見たこ

とがないとのこと。

海外からのメンバーは、ほとんどこれに参加しました。

(極東ロシアのメンバーもどういうわけか、一緒に参加していました)

皆はお昼頃に帰ってきて、とても喜んでいました。

これもいい思い出になったことでしょう。

 

午後からはシンガポールの指揮者、Rebeccaさんの練習。

「西岡さん、手伝って」と言われて(もちろん英語で)、ピアノによる音とりをお手伝

いしました。

まずは、おなじみスペインの作曲家Bustoさんの「Pater Noster」。

本当にBustoさん特有のあの麻薬のような身を溶かすような響きには、やはりうっとり

させられます。

このあたりのレパートリーは、ほとんどの国のメンバーに共通のもので、最初から素晴

らしい音がしました。

続いてブルネイの民謡「Naindong」。

これは子守歌だそうで、とても優しく暖かく、それでいて独特のハーモニーを持つ、素

敵な曲でした。どこの国でも子守歌の心は共通だなあ、としみじみ感じさせられました

最後は、Asian Choral Seriesから「Dragon Dance」。

Dragon Danceとは、博多のおくんちのようなもので、やはりこれもアジアに共通のもの

のようです。

どこの国の人も「ふんふん」と説明にうなづいていました。

シンバルやドラムなどの音を擬音化した曲で、もう「これならまかせて」という感じで

した。

 

夜は、田中先生の練習で、三善晃先生編曲による「佐渡おけさ」。

これはちょっと骨の折れる音なので、初めから女声と男声に別れて練習。

私は女声パートを受け持ちました。

昨日のクリマトーガニは男声だったので、ラッキー!!、などと喜んでいる場合ではあ

りません。

とにかくむちゃくちゃ美しいのですが、音はむちゃくちゃ難しい。

しかしやってみると、さすが各国の選りすぐりのメンバー。

すぐにコツをつかんで、見事に歌います。

合わせ練習も好調で、やはりこの曲がこんなにうまくいくのも、アジア全域に通じるも

のがあるからに違いないと思いました。

続いて「クリマトーガニ」もやりましたが、「佐渡おけさ」と同様、どんどんサマにな

ってくるのです。

こちらは八重山という、よりアジア諸国に近い所の民謡を素材としているだけに、より

近親間があるのかも知れません。

 

こうしてまたたく間に、長く充実した一日が終わりました。

 

ホテルに帰ると、さすがに疲労根盃でしたが、しかし廊下からは、皆でどこかの部屋に

集まってワイワイやっている音が聞こえています。

本当にアジアの若者達はタフです。

もう私はグロッキーで、そろそろ寝ようと思います。

 

NACレポート その3

1998年7月26日


7月27日(月)の現地レポート

新潟型からNACレポートその4をお送りします。

 

7月27日(月)は、田中先生の練習で始まりました。

曲目は「追分節考」。

いきなりアンサンブルで始まりましたが、さすがに各国選りすぐりのメンバー、初めから見事な音がします。

しかし、何よりもすごいと思ったのは、柴田先生の作曲で、このような場面においてさえも各国のメンバー達が音楽を楽しみながら、その高みに連れていってくれることでした。

そのことは皆の表情からもはっきりとわかりました。

休憩後は、男女に別れたパート練習。

私は女声を担当し、馬子歌がお座敷小唄に変質した部分を練習しました。

まず、そもそも宿場宿の芸者をどう説明するかで一苦労。

なんとなくそれなりにわかってもらえたようで、まあまあいい感じになりました。

時間が余りなかったので、夜に各自で練習しておくことにしました。

 

午後からはRebeccaさんの練習で、Durufle作曲の「Ubi Caritus」、中国の民謡による「River Qing Jiang」、インドネシアの民謡による「Soleram」。

「Ubi Caritus」と「River Qing Jiang」は、男声のパート練習をお手伝いしました。

Bustoさんの「Pater Noster」と同様、ラテン語による「Ubi Caritus」は、見事に音楽になっていきます。

ラテン語によるキリスト教音楽は、やはり普遍性があります。

どの国のメンバーもノン・ビブラートで、それでいてつやがあり、とても美しいハーモニーをつくります。

一方、「River Qing Jiang」は、中国の雄大な山河とそこに生きる男女の姿を描いたもので、雰囲気たっぷりです。

やはり多くのメンバーにとって共感がもてるもののようで、ヨーロッパの合唱団では絶対にこんな音はしないだろうなあ、としみじみ感じさせられました。

そして、極めつけは「Soleram」、インドネシア民謡による合唱曲で、男女の恋いの歌だそうです。

これがまた本当に美しい曲なのです。

ある程度、曲が出来てきたところで、Rebeccaさんは、「インドネシアから来ている娘さん、どうぞ皆の前で踊ってください」とリクエストがでました。

すると4人の女性が恥ずかしそうに前にでて、皆が歌う「Soleram」をバックに踊ってくれました。

これが、もうため息が出るほど、素晴らしいのです。

優雅で優美で、少し色っぽくて・・・。

時間よ、このまま止まれと思うほどでした。

同時に、このような素晴らしい踊りを大切に育み、それを継承しているインドネシアの文化の豊かさに、深く心を打たれました。

今の日本に、いったいどれほどの女性が、女性として踊ることの幸せを知っているのか・・・。

本当に考えさせられました。

 

夜は、地元の人達との交流パーティーがありましたが、私たち、指導者陣はミーティングをしていたので、残念ながらそれらは参加できませんでしたが、盛りに盛りあがったそうで、さながら各国別の歌合戦となったようでした。

司会者が「それでは、そろそろ時間ですので・・・」と何度いっても、次々に「Next Song!!」の声がかかり、それが果てしなく続いたそうです。

 

NACレポート No4

1998年7月27日(月)


7月28日(火)の現地レポート

新潟からNACレポートNo5をお送りします。

 

7月28日(火)、朝起きて、レストランに行くと、何と誰もいません。

私が一番なのです(これはちょっと考えられないことです)。

つまり、昨夜、パーティーで騒いだ後、また各自の部屋に集まり、延々と延長戦をやっていたようなのです。

その影響は、すぐ表れました。

 

午前中のRebeccaさんの練習は、さんざんなものでした。

どの曲をどうやってもピッチがだら下がりなのです。

また音色にも輝きがありません。

目が死んでいます。

今までやった曲の再練習ではあったのですが、結局、大きな進歩はありませんでした。

 

お昼休みを少し長めにとったためか、午後からの田中先生の練習では、ほとんど問題は起こりませんでした。

「佐渡おけさ」もぐんぐん雰囲気がでます。

「追分節考」では、いよいよ会場を歩きまわりながら歌う練習が始まりました。

女声のお座敷小唄も、雰囲気がでてきました。

特にロシアからの3人の女性が、日本人顔負けの歌をうたい、皆、びっくり。

田中先生が「ロシアにもお座敷小唄みたいなものがあるの?」とまじに聞いたほどでした。

どちらの曲も日本固有の要素が強い曲で、外国人は苦労するのではないかと心配していたのですが、そんな心配をよそに、どんどん皆、うまくなっていきます。

田中先生に「不思議ですね」と言ったところ、「日本人は、自分達の歌だから、なんとしてもうまく歌いたいと頑張る、それが外国のメンバーにいい刺激を与え、結果的に外国のメンバーもうまくなっていくのだよ」と教えてくださいました。

うーん、なるほど、と感じいった次第です。

 

夜は再び、Rebeccaさんの練習。

皆は午後で調子を取り戻していたので、今度は、どの曲もスムースにいきました。

練習の最後に、Rebeccaさんは「今日からは11時に明かりを消して寝るように。私が見て回ります。」と釘をさしました。

 

さて、インドネシアのメンバーと話をしていて、たいへんだなあと思いました。

政局が安定せず、引き続き痛ましい事件もたくさん起きているようでした。

またメンバーの一人は中国系の人で、インドネシアでは人口の10〜15%を占めるそうですが、経済的にはほぼ独占状態にあるため、暴動で大きな被害がでた、と話していました。

テレビや新聞で見聞きして知っていた話ではありましたが、直接、当人から話を聞くと、やはりたいへんなことだなあ、としみじみ実感しました。

またインドネシアを出るときは1円=200ルピアだったのが、今日は、1円=100ルピアになったそうで、彼はルピアをすべて日本円に換えていたので、とても悲しそうでした。

日本経済の不安が、こんな所にまで暗い影を投げかけるとは夢にも思いませんでした。

しかし、インドネシアの女性は独特の魅力を持っていますね。

うーん、虜になりそう?!

 

NACレポート No5

1998年7月28日(火)


7月29日(水)の現地レポート

新潟からNACレポートNo6をお届します。

 

7月29日(水)

 

午前中は田中先生の練習で、追分と佐渡おけさを練習しました。

追分では、海外からのメンバーの馬子歌がますます磨きがかかってきて、本当にこの人達は、日本人ではないのかと疑わせる程、素晴らしいものでした。

どんどん出きあがってくるので、本当に、びっくりです。

 

午後からは、Rebecca先生の練習。

新潟からピアニストがきて、残る2曲「The little thing」「The Land of Music」を練習しました。

前者はシンガポールの作曲者、そして後者はフィンランドの作曲者によるもので、それぞれに味わいのある、素敵な曲でした。

 

夜もRebecca先生の練習。

途中、「指揮を代わって」と言われてブルネイの子守歌「Naindong」を指揮しました。

アジアのメンバー達ならでは息つかいとフレージングに直に触れ、感動しました。

メンバー達も大きな拍手を送ってくれたので、たいへん嬉しかったです。

 

さて、今回の参加者の約8割は、音楽大学の学生、あるいはその卒業生達です。

従って、声のトレーニングは相当できているので、しだいに皆の声が調和してきた今日あたりは、ものすごくいい音が鳴ります。

ppからffまでダイナミックレンジも十分、ほとんどのメンバーがソリストとしても通用する実力でありながら、合唱のセンスも持っています。

ノンビブラートで倍音もどんどんなります。

そして音楽をする喜びが歌に満ちているのです。

本当にどうして外国のメンバーは、体全体を使って、こんなにも楽しそうに歌えるのでしょうか?

これは、たとえばオリンピックのフィギュアを見たときの様子とそっくり同じなのです。

日本と外国の決定的な違い・・・

考えさせられます。

 

さて、練習は8時に終了して、皆はホテルに帰ったのですが、8月1日の演奏会でジョイントする地元の合唱団がやってきて、合同曲「旅立つ朝」を指導してほしいとのことで、指揮をしました。

30名くらいの混声合唱団でしたが、豊混より少し年配の感じでした。

それでも、とてもいい感じのメンバーばかりで、とても楽しく練習を進めることができました。

 

長い一日でしたが、今日も充実した一日でした。

しかし、そろそろ疲れもたまってきた感じです。

 

NACレポートNo6

 

1998年7月29日

 


7月30日(木)の現地レポート

新潟からNACレポートNo7をお送りします。

 

7月30日(木)、いよいよキャンプも終盤に入りました。

昨日で、予定していたすべての曲の練習を一通り終え、今日からは最後の詰めに入ります。

 

午前中は、Rebecca先生の練習で、これまで練習した一通りの曲を通しました。

午後からは、田中先生の練習で、東京から追分節考の尺八奏者として関一郎さんが来られ、初めて合わせをしました。

皆、尺八の音色にすっかり魅了されたようで、聴きいっていました。

関さんにお聞きすると、これまで追分を1000回以上(!)演奏したそうです。

海外からの参加者も、追分と、田中先生の指導にすっかり魅了されたようで、フィリピンのメンバー達は、ぜひ、自国に帰ってから演奏したい、といっていました。

 

夜は田中先生の練習が続く予定でしたが、皆の疲労の色が濃いのを見て、田中先生は、急遽、中止して、休むようにと指示されました。

このあたりの判断と、読みはさすがだなあ、とつくづく関心しました。

1週間の練習の進め方も、本当に見事で、まったく無駄と無理がないのです。

この年齢になられて初めて到達できる芸なのでしょうか。

 

ところが、ホテルに帰ってきた皆は、休憩するかと思いきや、花火を買ってきて、大花火大会となりました。

聞いたところ、シンガポールでは、花火は罪になるそうで、生まれてから花火をするのは初めてだ、と興奮していました。

指揮のRebecca先生もやはりシンガポールの出身で、同じく興奮されていました。

まあ、これもリフレッシュの一種ですね。

 

さて、長期のキャンプで何がつらいかと言うと、それは洗濯です。

今日はホテルの部屋の洗面所を利用して下着の洗濯をしました。

去年、イギリスに演奏旅行した時に経験しているので、多少、慣れてはいるのですが、やはりなかなかうまくいかないものです。

1時間程、かかって大量の下着を洗いました。

問題は、ちゃんと部屋の中で乾いてくれるかです。

イギリスは乾燥していて、あっと言う間に乾いたのですが、さて結果はいかに?!?

 

NACレポート No7.

1998年7月30日


7月31日(金)の現地レポート

新潟からNACレポートNo8を送ります。

今日ですべての練習が終わり、明日は、本番初日です。

いつも私のレポートだけではつまらないと思い、今日はアルトのメンバーの一人、フィリピンから来たMelodyにレポートを書いてもらいました。

彼女は、本当に素敵な声とパーソナリティの持ち主で、私の大のお気に入りです。

それでは、Melodyのレポートをどうぞ。

 

Dear Toyonaka Mixed Chorus Members

 

Hello! Myname is Melody Lalata from the Philippines

Mabuhay! Konnichiwa! First of all let me say that you are very lucky to have Professor Nishioka as your conductor.He is very inspiring and passionate about choral music.Not to forget to mention that he is a very kind and patient teacher.

 

Ok now about the AYC. What can I say, it is so much fun!!!! BUT at the same time it is a lot of hard work too YET very fulfilling!

 

The repertoire is very diverse,not only from Asia but from all over the world It is very surprising that so many young people with different cultures, musical background and personalities can come together, work together and make beautiful music.

If one will stop and think about it, it seems like a very difficult task (in only 6 days rehearsal too!) but we all believe that in music nothing is impossible right? I hope you will experience this too someday and share your talent and love for music and singing to others.

Thank you and keep on singing!!!!!

 

Melody Lalata

skybi@hotmail.com

 


8月 1日(土)の現地レポート

NACレポートNo9をお届します。

 

今日、キャンプを終了し、第一回のコンサートを小出文化会館で開催しました。

キャンプの成果が十二分に発揮できた素晴らしいコンサートになりました。

Melodyの言うように、こんなコーラスが、アジア各国から集まった若者によって、わずか1週間で出来たなんて信じられない気持ちです。

特に追分は特筆すべき出来であったと思います。

 

演奏会終了後は、キャンプのうちあげパーティーがあり、皆で、飲んで食って、おお騒ぎをしました。

例によって、私もハメをはずしてしまい(めったにないことなのですが・・・)、ついにMelodyに「Yopparai!」と言われてしまいました。

誰だ、そんな日本語を教えた奴は!

 

ということで、明日は新潟市内に移動し、フェスティバル全体のオープニングセレモニーに出席します。

ちなみに、家族のご機嫌をとるために、一家を新潟へ呼び寄せます。

佐伯さん、割安のJASのチケットありがとう。

しかし、痛い出費だ!

 

NACレポートNo9

1998年8月1日

 


8月 2日(日)の現地レポート

NACレポートNo10をお送りします。

 

8月2日(日)、今日はキャンプ地の小出を後にし、新潟に移動します。

これまでずっといい天気だったのに、あいにくの雨降りとなってしまいました。

朝ホテルをバスで出発し、11時頃に新潟県民会館に到着しました。

今日は、午後2時からイベント全体のオープニングセレモニーがここであるのです。

AYCは、頭でテーマソングを1曲だけ歌います。

司会進行は、アグネスチャンです。

ただ、私は家族がやってくるのでここで別れました。

午後11時30分頃、宿泊先の東急インで待ちあわせをし、昼食後、関連イベントであるアジアストリートフェスティバルを見学にいきました。

これは商店街のアーケードを利用して、アジア各国の料理や物産展、パフォーマンスを見せるものです。

あいにくの雨でしたが、大勢の人が集まってワイワイ楽しんでいました。

ちょうどアジアの雑踏にいるような感じです。

 

さて夜は、県知事や各国大使も出席して、大パーティーが開催されました。

メンバーもドレスアップして、出席しました。

パーティーの中では私の指揮で「佐渡おけさ」を歌いました。

パーティーが散会してからも、メンバーは残り、引き続き、飲んで食って歌って楽しみました。

新潟県知事も残って我々と一緒に歌ったり写真をとったりされていました。

昨日までの合宿てはうってかわり、たいそうリラックスした一日でした。

 

NACレポートNo10

1998年8月2日(日)


8月 3日(月)の現地レポート

NACレポートNo11をお送りします。

 

8月3日(月)、今日は午前中はOFF。

私は家族と新潟観光に行くつもりでした。

ところが昨日からのあいにくの雨。

しょうがないので、海辺にある水族館に行きました。

あまり期待してなかったのですが、行ってみるとなかなかのものでした。

子供達もおお喜びでした。

 

午後からは、夜の演奏会のリハ。

会場は、10年程前に全日本合唱コンクールで行った新潟県民会館。

あの時はあまり感じませんでしたが、今回は、あまりのひどさに愕然としました。

30年前に出来たそうで、やはり一世代も二世代も前のコンセプトでできたホールです。

一昨日の小出文化会館が、とても素晴らしいホールだったので、その差のせいもあるのでしょうが、とにかくひどい。

メンバーも困惑していましたが、それでも何とか気をとりなおして、歌いました。

リハ終了後、家族を楽屋に連れていき、皆に紹介しました。

友樹は、英語で話かけられると、すっかり固まってしまいました。

うーん、根性がないやつだ。

それでも日本人のメンバーとはすぐ仲良しになって遊んでもらっていました。

特に女の子には甘えたくってました。(なんちゅう調子のいいやつだ)

彩音ちゃんも、すっかり皆の人気ものになりました。

 

さて、夜の開演まで少し時間があったので、「日本海タワー」へ行きました。

これは海岸線近くにある小さな展望台です。

幸い、雨もあがり陽もさしてきたので、北の日本海から南の山並みまで、とても良く見えました。

ここはなかなかのお勧めスポットですね。

この後、家族はホテルに返し、私は演奏会の本番に立ちあいました。

ホールのハンディを乗り超えて、なかなかいい演奏をしましたが、ただ、どうしても小出文化会館のような音楽の喜びが満ちあふれた空間にはなりえませんでした。

ちょっと残念でした。

唯一の収穫は、最後に新潟県知事がステージにあがられて、一緒にテーマソングを歌ったことです。

とにかく知事には、NACの重要性をよく認識してもらい、今後もぜひ継続してもらわねばなりません。

その意味では、とても意義があったと思います。

なお、会場には松原千振先生も来られていました。

というのはRebecca先生は、松原先生の紹介で来日されたからなのです。

演奏会終了後、お二人から飲み会のお誘いがかかりましたが、明朝、家族を返さねばならないので、丁重にお断りしてホテルに帰りました。

この後、まさかの悪夢が待ちうけていました。

 

NACレポートNo11

1998年8月3日(月)


8月 4日(火)の現地レポート

NACレポートNo12をお送りします。

 

8月4日(火)、未明、ものすごい雷の音で目がさめました。

窓のカーテンをあけると、ものすごい豪雨と稲光。

それがいつまでたっても止まないのです。

やっぱり東北だなあ、などと呑気に感心していました。

しかし、夜が開けてみると、事態は予想をはるかに超えたものでした。

在来線は完全にストップ。

道路も完全にマヒ状態。

市内もいたる所で増水しています。

ニュースによると、新潟気象台観測史上、初めての記録的豪雨とのことです。

今日は、最後の公演地、佐渡に渡らねばならないのですが、まず佐渡汽船乗り場までの交通がマヒしています。

私は当初、ホテルからタクシーで行く予定でしたが、タクシー乗り場は長蛇の列、そして待てど暮らせどタクシーはぜんぜんやってきません。

そこで、必至で路線バスを探した所、幸い、運行していました。

バスは、時にポートのように水をかき分け進んでいきます。

そしてブレーキがかかるとにぶい音がします。

渋滞をくぐり抜け、ようやく汽船乗り場にたどりつきました。

約束の集合時間より30分くらい遅れたのですが、しかし、メンバーの姿はまったく見あたりません。

携帯電話はまったく不通。

そこで公衆電話でコンタクトしようと思って電話の所にいったところ、前で話している人がどうも関係者のようなのです。

実はその方は日本旅行の人で、今回のツアー責任者でした。

話を聞いてみると、メンバーをホテルから汽船乗り場まで搬送するためにバスをチャーターしていたのだが、バスは車庫を出発しているにもかかわらず、ホテルに来ないというのです。

多分、道路が大渋滞しているからでしょう。

結局、3時間近く遅れて、皆はやってきました。

これで我々AYCのメンバーは揃い、なんとか遅れてでも佐渡に渡れることになりました。

ところが、同じ演奏会に出演するNAC記念合唱団のメンバーは、ほとんど新潟に住んでいるため、在来線が不通のため、集合できなく、結局、出演とりやめとなってしまいました。

こうして、予定より3時間遅れて、我々AYCだけが汽船にのり、佐渡に渡りました。

船とはいうものの、ジェットホイルといって、海から1.5mも浮いて進むジェット船だけに、航海はさほど苦痛ではありませんでした。

さて、佐渡についてから演奏会場までバスで移動するのですが、ここもまた道路がズタスダで、あちこちが通行止。

おかげで1時間の予定が2時間かかり、ようやく4時すぎにホールに到着した時は、さすがに皆クタクタでした。

朝の8時30分にホテルのロビーに集合してから7時間30分かかってようやく着いたのです。

田中先生もお疲れのようすで、地元合唱団へのテーマソングの指導はやっておいてくれ、とのご指示。

うーん、私もシンドイのに、なんてことは師匠に対しては口が裂けても言えないのです。

休憩もそこそこに、ホールに待機しておられた地元合唱団の指導に入りましたが、そこでびっくり、佐渡とは思えないほど、素晴らしいホールなのです。

小出文化会館に匹敵するクオリティです。

これは最後を飾る素晴らしい演奏会になるぞ、と思いました。

唯一の心配は、お客様がホールに来てくださるかどうかです。

被害もでているようですし、なによりもアクセスの問題があります。

しかし、ふたをあけると、予想外に多くのお客様が来てくださいました。

ありがたいことです。

私の予感は的中し、メンバーは、これが最後の公演ということもあり、素晴らしい燃焼を見せました。

終演後は、皆、舞台袖で涙また涙。

ほんとうに感動的な場面でした。

その後、ホテルに行き、さよならパーティーとなりました。

メンバーだけでなく、スタッフも全員揃い、こちらもまた感動的なパーティーとなりました。

ホテルの事情で11時に部屋を追い出されましたが、メンバー達は、ものたりない様子。

すると新潟県のスタッフが、近くのカラオケハウスを見つけてきました。

そしてほとんど全員がそこへ移動し、またまた大いに盛りあがりました。

皆、クラシック畑の学生や卒業生がほとんどにもかかわらず、英語のPOPSをカラオケでみごとに歌います。

そしてすぐに踊り出すのです。

このあたりの楽しみ方は 、やっぱり海外のメンバーの方がうまいような気がしました。

カラオケは2時まで続き、皆はまだなごりおしそうに、ホテルに帰っていきました。

 

 

NACレポートNo12

1998年8月4日(火)


8月 5日(水)の現地レポート

NACレポートNo13をお送りします。

 

8月5日(水)、すべての予定していた行事を終え、今日は別れの日です。

昨日の豪雨がうそのように、佐渡はきれいに晴れわたりました。

朝、9時にホテルをバスで出発し、汽船乗り場についたのが10時前。

そして10時30分発の汽船で新潟に戻りました。

船の中で、田中先生は自作の合唱のCDを全員にプレゼント。

歓声と共に、大サイン会になりました。

私はRebeccaさんに「伝説」の楽譜を、皆にはメッセージカードと和紙のコースターをプレゼントしました。

Rebeccaさんとは、これからも楽譜やCD、その他さまざまな情報交換をしようと約束しました。

ちなみにRebeccaさんは、E-mailやWWWを駆使して世界的な活動をされています。

船は11時30分に新潟港に着きました。

ここで、日本のメンバーと海外のメンバーのお別れです。

ツアーコンダクターの新潟県職員の人は、新幹線の時間が迫っているので、早くバスにのってくれ、と叫んでいますが、皆、涙また涙でいつまでも交互に抱きあっていました

それでもようやく別れて、我々、日本人は新潟駅に行き、ここで地元のメンバーと遠方からのメンバーが別れました。

海外からのメンバーは、ホテルで荷物を整えた後、東京に移動し、駆け足観光をしてその夜は成田に泊り、翌日にそれぞれの国に帰国する予定です。

私も上越新幹線に乗ると、さすがに疲れがどっと押し寄せてきて、東京までぐっすり寝ました。

同じグリーンに乗っていた追分の尺八奏者、関先生とは大宮駅で、また田中先生とは東京駅で別れました。

田中先生は、自宅に戻らず、その足で仙台の「創る会」へ行かれるとのことで、新幹線の中では、「創る会」の譜読みをされていました。

「創る会」は、今日から日曜日までの期間で開催され、一柳先生の新作初演という大事な仕事です。

本当に、田中先生は70才とは信じられない元気さです。

「あまり無理をしないで下さい」と言うと、「無理はしてないよ、これが日常だよ。」という返事でした。

本当に、一生涯、こうして日本の合唱界の先頭を走りつづけてこられたのだなあ、とつくづく感じいりました。

「よくやって下さった、ありがとう。」というありがたいお言葉を頂き、東北新幹線のホームで硬い握手をして別れました。

 

NACレポートNo13

1998年8月5日(水)


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